お盆

明日から「お盆」です。
お飾りの準備はできましたか?
お寺の御内仏(住職家族の仏壇)をあつらえました。
あとは ナスで牛 キュウリで馬を作り、
明日お供物をお供えすればできあがり。

本立寺では7/10から檀家さんのお宅に伺って
お経をおあげしています。
このことを「お棚経(たなぎょう)」と言います。
年に一回 お仏壇からお位牌を「棚」に出していただき、
ご先祖をお迎えします。

今年のお盆は、7月13日(土)~16日(火)です。
お飾りや迎え火、送り火などの風習についてご不明の場合は
お寺にお気軽にご質問ください。

沙門

 延寿院は三百年近くの歴史があるお寺ですが、宗教法人という法人格を得たのは六十七~八年前のことでした。日本にある寺は全て同様で、法人運営の歴史は「寺の存在」に比べればはるかに浅く、しかも戦後民主主義の考え方の上に立っているともいえます。ですから世代によっては未だに、寺はそこに住んでいる住職が独善的に運営をしているのだと思われる方が多くいらっしゃるのは致し方ないのかもしれません。

 最近よくガバナンスという言葉を聞きます。日産自動車やリクシルといった会社が、株主を巻き込んだ法人統治機構の問題が外国からも注目されニュースに扱われるからで、社外取締役といった役職も話題になりますし、創業家といった言葉も出てきます。ですから宗教法人である寺も、最も利害関係者であるお檀家さんの意志が、運営上の合意形成に強く関与することが期待されていることとなります。

 かつて、逮捕されたオウム真理教の信者が、どうして入信したのか?という問いに対して、『日本の寺は風景でしかなかった』との弁が流され、多くの僧侶は我が身の振る舞いや来し方を反省する機会となりました。私が新宿から身延までの路を行脚していた時に、上空をけたたましくヘリコプターが飛んでいたことを、いつまでも忘れません。上九一色村(当時)の教団施設へ向かう報道機関と知ったのは翌日のことで、平成七年、一九九五年五月のことでした。今やその「サティアン」と呼ばれた施設があった場所はどのような風景を見せているのでしょうか。その翌年、私は延寿院の住職となり、同時に法人の責任者としても多くのことを学ぶこととなりました。ガバナンスもその一つであって、檀家の代表者である総代さん方や、寺の運営に参画していただく世話人さん方からは、寺へのその家代々の責任・愛着に基づく助言を得てきました。

 私は住職として、僧侶として、まだまだ歩き続けます。僧侶は自身のことを「沙門(しゃもん)」と称します。簡単には「つとめるひと」を意味しますが、私は他のために「精進するひと」「奉仕するひと」と理解していますし、しかも「たゆまず行うひと」であると信じています。できましたら、ときどき一緒に歩いてくださると嬉しいです。

 今月はお盆を迎えます。十三日~十六日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。

「延寿」364号 掲載

NPO会報によせて

 5月1日より元号が「令和」となりました。二ヶ月が経ちますが、いまだに実感が湧きません。昭和64年のころは、私は学生で社会における経験が乏しく、知識として理解したのだと思われます。

 青年の一時期、近眼になり眼鏡をかけたことがありました。格好をつけてサングラスをかけていたこともあります。いつの間にか必要でなくなり、直射日光にも目を細めて立ち向かう術を身につけました。ところが、仕事でパソコンやスマホを見ることが増えたことや、さらには老いもあり、老眼鏡が必携になりました。子供のころ、大人が「天眼鏡」を使っていたのを思い出します(今なら「ハズキルーペ」ですね)。黒い茶人帽をかぶった「人相見」が行灯のある卓子を置き腰をかけ必ず持っていたのが天眼鏡です。ルーペを通して手相や人相を見てもらった人は、その言葉が不思議と一致して得心するのでしょう。天眼鏡はツールに過ぎませんが、確実に、人を診るという行為に信用を与えていました。

 もっとも診る人は自覚と本質を持っていなければいけません。つまり、その「気づき」が懺悔となり、祈りとなり、感謝となります。数百年数千年と続いてきたことにこそエッセンス(本質)があます。死も生の延長線(生きてきたままに死ぬということ)。そして継承していく、ということに大きな意味があるはずです。

 どうぞ、当法人へのご賛助をお願いいたします。

 皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

Lotus News掲載

ご先祖の眼

 五月一日に践祚なされ、元号が「令和」となりましたが実感はいまだに湧きません。昭和六十四年のころは、私は学生であって社会における体験が乏しく、知識として理解したのだと思われます。また、最近の私の生活に新聞やテレビが遠ざかり、パソコンを前にすることが増えたことも一因かもしれません。

 青年の一時期、近眼になり眼鏡をかけたことがありました。いつの間にか必要でなくなり、数年に一度の運転免許更新の折の検査で、堂々と裸眼で勝負してみたらあっさりと通過し、増々不必要となりました。格好をつけてサングラスをかけていたこともありますが、オヤジになって直射日光にも目を細めて立ち向かう術を身につけました。ところが、パソコンには負け、老いにも負け、鼻先にかけるヤツが必携になりました。

 子供のころ、大人が「虫めがね」(拡大鏡)を使っていたのが思い出されます(今なら「ハズキルーペ」ですね)。そういえば虫めがねとはあまり言わず、「天眼鏡を取ってくれ」との声が耳朶に残っています。昔は大きな駅の外に、黒い茶人帽をかぶった「人相見」が行灯のある卓子を置き腰をかけていたのをよく見かけました。その人が必ず持っていたのが天眼鏡です。手相や人相を見てもらった人は内心と一致して得心する方もあったのでしょう。

 日蓮聖人は「仏眼」で見通しておられました。『松野殿御返事』と呼ばれるお手紙に、

  魚の子は多けれども 魚となるは少し
  菴羅樹の花は多く咲けども 果実となるは少なし
  人もまたかくのごとし 菩提心を起こす人は多けれども
  退せずしてまことの道に入る者は少し

とお述べになられました。更に言えば、成魚となって子をなすのは全てではないはずです。人でさえも自然の中では小さな存在であることを自覚せざるをえません。そのことに気づけたならば、懺悔となり、祈りとなり、感謝となるのです。数百年数千年と続いてきたことにこそエッセンス(本質)があるに違いありません。死も生の延長線(生きてきたままに死ぬということ)と思えるならば、日々あることの不思議を不思議とせず、感謝するようになります。日蓮聖人は法華経を体得する(五種法師)ことによって、仏の眼を得られましたが、私たち凡夫はご先祖の眼からこそ、大切な事が見えてくるのではないでしょうか。

 間もなくお盆となります。いつものように先祖をお迎えください。

「山風」79号 掲載