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花まつり

 空を眺めていても、行く雲は一つとして同じものはなく、刻々と形を変えていきます。慌ただしく月日は流れ、私の記憶からしても、今見たものも感じたこともさらさらと流れてしまい、留まることは少ないようです。であるからこそ救われているのかもしれません。

 さて、十年前に里山型樹木葬を始め、以来毎年、花まつり法要と合同供養祭を四月に行ってきました。昨年は今も続く「コロナ禍」によって無参拝で行いましたが、今年は三十人ほどが参列してくださいました。本当にこれぞ極楽浄土ではと思える程の桜が咲き、木々を渡る風に読経と焼香が相まって絢爛な装いとなりました。お釈迦さまは二千数百年前に現在のネパールにある「ルンビニ園」と言われた場所で母マヤ夫人からお生まれになりました。法要では「花御堂(はなみどう)」に幼いお姿で左手を上げ右手を下げた立像の「誕生仏(たんじょうぶつ)」を祀り「甘茶(あまちゃ)」を濯ぎます。生まれてすぐに立ち上がり「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 我当度此」と宣言されたことは有名な逸話です。しかしながら、私たちが日頃読む「法華経」に生まれたことは書いてありません。そして、滅するということが如何なることかが多く説かれます。つまり、個々の生命に「生老病死」があることをしっかりと書かれています。当たり前のことのようですが、大昔から不老長寿が希われてきたように、人間はアンチエイジングを目指しています。しかし、事実は一個人は必ず「死」を迎えます。お釈迦さまは「滅するけれども居るよ」そして、そのことを「信じれるか」と言います。さらに、信じたものには、生死の心配から解き放たれる「無生法忍(むしょうぼうにん)」と悪をなさず善を行う「聞持陀羅尼門(もんじだらにもん)」を得ることになるだろうと、示しています。はたして、このはるか昔に説かれた教えを何人が得られたことでしょう。お釈迦さまの「願い」は今もなお受け継がれています。祖父母の「いのち」は私の体に受け継がれています。ただ、その思いのいか程が受け継がれているかはあやしいものですが、お経を読むことで多くのことに気付かされてはいます。

 家に居ることが増え、体を動かす機会が減った方も多いでしょう。どうぞ体調の変化にお気をつけください。延寿院周辺の自然は元気にしています。

「延寿」375号 掲載

NPO会報に寄せて

 私たちのNPOが管理運営を任されている樹木葬『東京里山墓苑』は、八王子市川口町延寿院にあり、檀家墓地の更に奥のまさに里山の中に立地しています。延寿院では2005年の春頃から計画が始まり、多摩産材を使った庫裡の建築が終わった後の2010年の秋にようやく墓苑を開設することが決まりました。何しろ都内初の試みでしたから、前例というものがありません。全てを自分たちで考え作り上げることができました。

 それから10年が経ち、「樹木葬」という言葉は割と一般化し多くの墓地ができました。しかしながら、循環型・持続可能な社会を目標としているという大きな理念、独自の多摩産の杉材で作った骨壷を使うということ、お骨が里山の自然に還り木々の栄養となることや、忘れられることなく僧侶による供養が続けられるというオリジナリティは全く色褪せることはありませんでした。

 10年前の大災害は「未曾有の」と表現され、津波から逃げることを「てんでんこ(展転劫)」と言います。これらは私がよく読むお経に出てきます。つまり、災害は昔から繰り返されているものの、数百年おきに起こる大災害の記憶の継承は難しかったのでしょう。だからこそ経文が使われているということは、被害を最小限にしたい、記憶を伝えたいという想いが「祈り」となったのでしょう。最期にいつまでも残るのは人々の「祈り」なのではないでしょうか。

 新たな10年に向けて、里山墓苑もNPOも、まずは会員の皆さまや地域に生活し活動する方々の声を聞き、ここを終の棲家とした人が本当によかった幸せだ、と思っていただけるよう邁進してまいります。                 

NPO法人 ロータスプロジェクト代表
及川一晋

「LotusNews」35号に掲載

出会う、ひびき合う

 かつては東京の水がめ「淀橋浄水場」があった柏木。今はそこに50階を超える高層ビルが何本も建ち、日本有数のビジネス街となった西新宿。そのすぐ周辺には日本最大の歓楽街歌舞伎町があり、様々な人種が行き交う大久保百人町があります。そんな雑多な街での活動を表現する媒体として、手から手へと渡すことができる冊子として、年4冊、通巻26冊を作ってきました。

 このことは誰かに会いたい。何かに会いたい。という欲求でもあり、誰にいつ会えるのか、という不安でもありました。人と人とは手が離れることもあれば、手を握りしめることもあるでしょうし、抱きしめ合うことも、笑うことも、涙することもあります。災害がある度に認識されてきた絆の大切さですが、今はどのように結んだらよいのかを問われています。私たちのNPOは歩みを止めません。誰かに会うことを信じ、会いたいと思っている人がいることを信じています。冬は寒く、春は麗らかです。春が来ない冬はない、と言われます。耐え忍ぶからこそ良いことがある、と理解されますが、冬には冬の良さがあり、春には春の良さがあります。それを如何に感じるかは自分次第とも言えますが、友があり、共に歓び合うことでの充実感や満足感はこれからも変わらないはずです。私たちはお伝えする方法を工夫し変えながら、今後も多くの共感の輪を作ってまいりたいと思っています。

「季刊ロータス」25号掲載

天神町「ひろばびらき」にあたって

 平成30年(2018)4月、本立寺住職に就任しました。生まれ育った寺ですから懐かしさ一入でしたが、記憶にある街と現在の姿には歴然とした差がありました。何しろ小売店が一つもありません。酒屋の田所さんや燃料店の鈴屋さんはありますが、スーパーの大黒屋さんや魚屋の大森貝屋さんはありません。子供に大人気だった駄菓子屋さんはいつまであったのでしょうか。

 お寺の実務に携わると、保育園の通園路のちょっと手前までが地所であることがわかり驚きました。語弊がありますが自分の土地を歩いて保育園に通っていたわけです。間もなくしてこの土地をご利用いただいていたH氏ご家族から相談がありました。ご事情があって土地を離れなければならない、とのことで1年以上話し合いが続きましたが方針は変わりませんでした。境内に隣接していませんし、何に使ったらよいだろうか?と役員会議にかけたところ、コインパーキングやアパートなどの具体案が出されました。

 お寺では多くの僧侶や信者さんと毎日お経を読んでいます。読みながらも私の頭にはアパートのことがぐるぐるとめぐります。ドラえもんに出てくる土管の映像が出てきました。私が子供のころの上野町は区画整理中で、新しく道ができたり家が建ったりと、一時的に出来た「空き地」は近所の子供たちが集まって遊ぶ場所となり、蓋がないドブも当たり前に道の脇にありました。そんな時にすっと天から降ってくるものがありました。「空き地にしよう」との仏さまのお導きです。それからはトントン拍子に進み、八王子市の公園課や資産税課、天神町の町会長直井さんや副町会長市川さんはお寺のお檀家さんでした。今回の造営を一から十までやってくれている「八王子冒険遊び場の会」の数馬田さんまでがお檀家さんでした。なんというご縁でしょう。

 私の子供の頃のような街は戻ってきません。今とこれからの子供たちにとって記憶に残る場所になってくれたらいいのだろうと願っています。

本立寺 住職 及川一晋