「住職の雑感」カテゴリーアーカイブ

樹木葬墓苑

 私は昭和四十二年(一九六七)生まれ。歳末からお正月にかけて、お寺にいらっしゃる方には『暦(こよみ)』を差し上げています。当人は今までまず開くことはありませんでした。しかしどうした訳か今年は気になり、自分が『六白金星』であることは知っていましたので見てみると、散々です。「進退の機微を誤る恐れがある」「八方塞りの年です」「運勢は最高潮に見えて内実は諸事意の如く運ばず、困苦の多い年回りです」「思わぬ妨害や手違いにあうことがあります」と書いてありました。確かに言われてみれば、得意絶頂、自意識過剰で自惚れていたかもしれません。

 延寿院は今大変なことになっています。都内初の樹木葬墓苑は開苑から十年が経ち、当初は競合もありませんでしたが、今や説明をしなくとも『樹木葬』はお墓の一形態として認識されるほど一般的となりました。このことからもこの間に社会が大きく変化したことがわかります。ただ、私の考えは『循環型社会』を目指したもので、人が最期に行き着く場所を再考することから、生きている間の生き方を見直してもらおう、との意図がありました。多くの方は駅からの近さや、墓地内の高低差の少なさで択びます。延寿院は最寄りのバス停からでさえ五〇〇メートルもあり、その途中にはかなりきつい坂があり、寺内には何段もの階段があります。しかし、関東平野の西辺に位置し、水捌けも良く、陽当りが良いという美点は評価されず、周囲の森は市街化調整区域に指定されているので開発が及ぶこともありません。便利さを追求したのが今の社会だとすれば、それに抵抗したつもりもありませんし、真逆を行ったつもりもありませんが、幸いにして取り残されたことは確かです。

 お参りがしやすいという基準で選ぶことも決して間違ってはいませんが、人の臨終の地であり、再生の地であるということならば良い選択ではないでしょうか。私は持続可能な社会とするために、十年前に始めたこの墓苑を続けていきます。魅力の発信がまったく足りていなかったことを反省し、良いお寺、良い里山にしてまいります。

「延寿」374号 掲載

NPO会報に寄せて

 新宿への毎日の通勤をしなくなり3年近くが経ち、ご時世柄も遠方へ出向くことを避け、必要な会議でも書面決議やリモートで行うようにしていますので、八王子で過ごすことがとても増えました。生活圏の中で仕事も遊びも充足できていることが本来のあり方なのだろうと得心するようになりました。当たり前のことですが一生は一度ですから、少しの余裕とユーモアを持ち楽しく過ごしたいと思っています。

 昨年から八王子市のブランドメッセージ『あなたのみちを、あるけるまち。八王子』を活かした街づくりを、私が住職をしている寺(本立寺)が主体になり、行政や町会などとも協力をし始めました。

 具体的には八王子駅から徒歩10分足らずの約70坪弱の土地を更地にし、「冒険遊び場の会」の協力を得て、奥多摩での伐採に始まり、その木材を使って東屋や遊具をつくり、そして井戸掘りを大勢の子どもたちと指導をする大人たちとで行ってきました。これから水場をつくり、果物がなる木を植えて3月には完成する予定で進めています。さらにその近くに約100坪の土地に建つ築50年の古民家を大改装して近隣の方々や八王子で活動をする団体の交流の場にしていきます。これらが立地するエリアにはまだ昔からの路地が残っています。行政や大学と協議をし、アスファルトを剥がし、製材の工程で出るチップを撒くことで舗装ができないかを研究しています。路地にオレンジ色のあかりが灯り、足裏にはふかふかした感触と鼻腔には杉の香りが抜けていきます。これが私が思い描く「あるけるまち」です。八王子川口で行っている循環型社会における「終の棲家」ともいえる『東京里山墓苑』の理念にも勿論通じています。

 どうぞ、本年も当法人へのご賛助をお願いいたします。

 元旦より、皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

「LotusNews」34号掲載

今年も「信たりて宝をなす」

 春の始の御悦びを申し上げます。

 私は本立寺の住職として、地元仏教会や七福神会の仕事もしています。感染拡大が続く中でいかに人々にお寺に来ていただくかを模索し、毎年恒例の元旦から十日間の『八王子七福神めぐり』を行うことにしました。

「御朱印」受付時の「蜜」を避けるために、ビニールの仕切りを設け一定間隔で並んでいただき検温や消毒の励行、予め染筆した紙に捺印してお渡しします。期間中には昨年から始めた八王子中町の芸妓衆による仏前『奉納舞』も正月三日に開催します。LINEによる事前申込み定員制にしました。

八王子市が昨年六月に『日本遺産』に登録され『霊気満山 高尾山 人々の祈りが紡ぐ桑都物語』として観光振興をはかっています。数ヶ月前から市の観光課に、日本遺産と七福神めぐりをコラボしませんか?、と提案をしたところ即答していただき、とても難しい後援登録をいただきました。

このことによって、市内のさまざまな場所でポスターやのぼりの掲示やチラシの配布をおこなうことができ、協賛店が増えホームページに掲載し、市内各所にある「日本遺産ポイント」も含めて「めぐる」際の楽しみを増やしました。例年1万人以上が参拝してくださっていますので、今年はさらに多くの方に「祈りで市内を紡いで欲しい」と思っています。

 今、世界はものすごい速さで変化をしています。セクシャル・ハラスメントに対する「#Me too」運動、気候変動に対するグレタ・トゥーンベリさんの訴え、人種差別撤廃を訴える「ブラック・ライヴズ・マター」といったことは、トップダウンによるヴィジョンの提案では求心力を持たないことを示しているようで、SNSにより個別の問題をいかに意味をもたせボトムアップしていけるかがリーダーに必要な資質になっているのではないでしょうか。地に足をつけた活動が伴っていなければいけないということです。

私のさまざまなその他の活動(学童保育、フードバンク、奨学金給付、プレーパーク)が比較的狭い地域の情報媒体に注目され、取材が増えてきました。延寿院でおこなってきた「里山墓苑」は大きなことを言えば、「循環型社会」を目指す活動で、十年が経ちました。もうひと頑張り、里山保全活動や墓苑の経営に力を注ぎ、そこに集まる方々を共感の同士としていきたいと考えています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」373号 掲載

謹賀新年

春の始の御悦びを申し上げます

 ちょうど一年前の本紙で医師稲葉俊郎さんの文章を引用しました。実際に書いたのは十二月であり、まだ「コロナ禍」が意識されていない頃のことでした。それから一年経った今だからこそ再度掲載します。

  「わたしたち人間は弱いからこそ、助け合うのです。人が助け合えなくなるのは、弱さを忘れ強いと錯覚しはじめたからでしょう。生命は弱さという支えがあるからこそ強いのです。」

 『はやぶさ2』の使命は、なぜ地球に「水」があるのか?その起源を探ることにあったと報道で知りました。一つではない不思議な「何」かによる連鎖が今であり、さらに未来をもたらします。そのことを多くの人が無意識に気づいていたからこそ、当たり前に何に対してでも「難有(ありがたい)」と言ってきたのではないでしょうか。まだ探査の結果は出ていませんが、恐らく想像するに全くの偶然が「命」をもたらしたに違いありません。

 仏教では覚りの過程として、声聞・縁覚・菩薩という階級を設け(三つの乗り物)、それぞれに必須課題として四諦八正道・十二因縁・六波羅蜜を身につけることを修行としました。それは、身の回りの「こと」に気づき、その「こと」が今だけではなく、空間的・時間的なつながりをも持っている「こと」が判り、その「こと」がより良い方向に向かうように、自らもその「こと」の一部であるという自覚のもとに能動的であり、この「こと」を繰り返し実践し反省(懴悔)しながら、利他の精神に基づく大きな目標を掲げ成就を願う(誓願)「こと」が、菩薩道であり「仏となること」であります。何があってもこの「こと」は間違いありません。ますます『南無妙法蓮華経』とお唱えしましょう。

 皆様が心穏やかに一年を過ごせるよう、元旦より祈念してまいります。

「山風」 85号 掲載

素晴らしい生活

 延寿院のある八王子は旧市街を江戸時代は横山宿と称し、江戸と甲府を結ぶ五街道の一つ甲州街道の主要な宿場町でした。また、江戸の西を守る防衛、上州などから生糸の交易、織物を横浜を通じて世界へと運ぶ貿易の十字路となっていました。それでも人口は数万人でした。現在の八王子は昭和三十年代から隣村を合併し、商業都市、学園都市、住宅都市として五十万人以上の人口を擁していることは、有史以来の大きな発展と言えるのではないでしょうか。

 つまり、いつの時と何を比べるかで見方や評価は変わってきます。歴史・社会的トピックスで大きかったのは「明治維新」の一八六七年と「終戦」の一九四五年で、それぞれ今から百五十三年と七十五年前のこととなり、安政の大地震など天災の要素が全くなかったわけではありませんが、主には人々や為政者が求めた結果として、維新は言葉が示すように内発的な要因が大きく、終戦は進駐軍による占領からの復興ということからしても外的要因が多く、今に至る社会の礎となっています。

 さて、現在の状況とこれからの過ごし方を考えると、明治維新の列強諸外国の圧力を利用しながらの自己改革が参考になるのではないでしょうか。もちろん世界を周る地政学的な循環も意識しなくてはいけません。また、歴史を振り返れば天変地夭が社会変化を促してきた事例は数多あります。「心の時代」とはもう三十年も前からあるNHKラジオの長寿番組ですが、経済的豊かさだけでは満足できない人は必ずいます。寺はルーツをたどれば大陸に淵源があり、文化の受け口でしたし、その文化を土着化する場でもありました。このようなご時世だからこそ、今が総じて恵まれているんだということ、それでも大切な何を失ってきたのか、未来のためには何が必要なのか、個人個人が社会との適度な距離を測りながら、かつてない素晴らしい生活があるのではないかと期待しています。そして寺がその中で大事な場所となれるように自分なりの希望を示していければと考えています。

 これから冬本番を迎えます。どうぞご自愛ください。

「延寿」372号 掲載

人の輪を拡げて行きたい

人生とは「満ち足りること少なく、往々にして残酷で、通常は退屈で、ときどきは美しい」と言った人がいました。個人的にはそんな美しさを感じるためにNPOを運営しているのかもしれません。

 イデオロギーといった知識(先入観)から理解してしまうと、人と人は互いを見誤ってしまうし、互いの間に重層的にあるのかもしれない繋がりや歴史をなかったものとして判断をしかねません。大変なことが起きれば何とか自分だけには降り掛からないように避難するのは人情であるし、さらに、事の起こりを探る余りに何かのせいにし、非難の応酬ともなりかねません。

 日本のある団体が中国へマスクなどを送り、「国土は違えども 自然は共にある」といった意味の漢詩を添えたことが、両国において共感の輪を拡げたといいます。  私たちは意見が異る人たちも歓迎します。どのような縁にも感謝し、たった一つでも同じ美しさを感じられる人の輪を拡げていきたいと思っています。

季刊ロータス「LO+」23号掲載

車輪の下

 梅雨が例年より長く続いたせいか、蝉の鳴き声に勢いを感じません。八王子の最高気温は記録が更新され40度に迫る勢いで、この暑さにやられているのかもしれません。COVID19こそ暑さにやられてくれればいいのにと思ってしまいますが、そう上手くはいきませんし、そんなことを言える状況でもありません。昔の記録を見ると疫病の流行には加持祈祷を行っています。神が何かの理由によって悪神となり、僧侶の祈願によって目を醒まさせ、もとの善神と成すことを「退散」という表現を使ったようです。

 仏教では「四諦八正道」を基本とし、自身がどのようにして物事を見たり考え、そして行動すべきかを示してくれています。19世紀にプロイセン王国からドイツを帝国としてまとめた宰相ビスマルクは「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」と言われ、この言葉が現在にも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と伝えられています。このことは成功から学ぶというよりも、失敗を振り返り記録し、失敗を恐れず被害を最小限にしていく、ということなのではないでしょうか。

 仏典は教えています。「物事は常に変化していることとして見なさい。」「あらゆる出来事には必ず原因があり、それは、欲望や執着によって起こる。」と。

  『ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。—車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。』(法句経)

 いつの間にか日は短くなり、夜になると虫の音が聞こえてくるようになりました。お彼岸を迎えます。お寺に安心してお参りください。

「山風」 84号 掲載

21世紀 1/5

 21世紀は既に20年目となりました。私は1967年生まれです。小学生の頃には時々SF(科学的空想)小説を好んで読んでいました。今から思えば世紀の終わりを意識したハルマゲドン(終末論)的な内容のものもありました。『鉄腕アトム』は私の世代ドンピシャではなく再放送ですが、『マジンガーZ』『宇宙戦艦ヤマト』『ガンダム』のように科学万能でかつ戦闘物を愉しんで見、プラモデルを作り遊びました。今でも放送している『笑点』『大相撲』『水戸黄門』や『ドリフ』『欽どこ』はお茶の間の定番で、その団欒は学校でも共有されました。昭和そのものだったのでしょう。

 私は幸いにもなのか、大勢の家族と僧侶とで暮らしてきました。ところが今の食卓は、なるべく同じ時間に食事を摂ることを避け、向い合せで食べるときにはアクリル板を立てています。当然、会話は極力少なくしますので、あっという間に終わります。科学万能な未来が、昭和を引きずっている者からすれば非人間的な生活となりました。東日本大震災による福島原子力発電所の重大事故や気候変動による災害多発によって明らかになった現象を、課題として俎上に載せ解決しなければ、さまざまな問題がこれからもあれこれと現出し続けることでしょう。これを対処療法で弥縫していくのでは追いつきません。

 「おひとり様」「独居老人」はまれな人を指す言葉ではなくなりました。同居人がいてもアクリル板で囲まれた生活をしなければならないのかもしれません。20世紀の終わりに「循環型社会推進基本法」が施行されています。それから20年が経ってしまっていることを、どう考えたらいいのでしょうか。延寿院を想い描いた21世紀のお寺に近づけていきたいと思っています。

「延寿」371号 掲載

NPO会報によせて

 東京里山墓苑がある延寿院では、久し振りにご法事をしました。もともと法事が少ないお寺ではありますが、2ヶ月以上勤めていませんでした。お経とともにしとしとと降る音が耳に入ってきます。東京の梅雨は6月初旬から7月中旬のお盆まで続きます。お参りの方々には生憎の天候でしたが、数千年かそれ以上も続いている中国大陸からの雲の流れが変わってしまえば、大変なことになります。私のご法事の仕方は前に少し説明的な話しをし、後でも短い法話をすることにしています。その時、ウグイスが「ホーホケキョ」と谷渡りました。ときおり薄日がさす陽気に、新緑はとっくに過ぎましたが雨で緑が濃くなり、葉先からこぼれる雨水はより自然を豊かに見せてくれています。世の中は大変ですが、ウグイスは求愛し、自然は元気です。人間のみがむしろ困っているのではないでしょうか?行動が抑制され、その結果、空気はきれいになったのではないでしょうか?せっかく皆さんでお経を読んだのですから、視点を変えてみてはいかがでしょうか?今日、今だけでも仏さまの視点からものを見、考えてみましょう、と話しをしました。

 「送り火」の頃には、いつものようにセミが大合唱を始めることでしょう。まだまだこの状態に慣れることは容易でありませんが、自然に寄り添うようになさってみてください。

「Lotus News」 33号掲載

正しく学び 畏怖する

 私は随分前から「アーユス仏教国際ネットワーク」という、一九九三年に超宗派の仏教者を中心に創立された国際協力のボランティアを行うNPO団体と付合いがあり、お彼岸やお盆の頃に発行する「栞」を送ってくださっています。今夏の「栞」に「正しく怖がるために」という一文を掲載していたので紹介します。

 「自分が病気に罹った時、人に言える病気と言えない病気がありますか?ある場合、どういう病気だと人に言えませんか」

 高校の保健の授業で、生徒に質問します。生徒の多くの答えは、

 治らない病気だと言いづらい。人にうつす病気だと言えない。

 というもの。そして、彼らは考えます。どうして言いづらいのだろう。言いづらいけど言わないといけない時って、どういう気持ちになるのだろう、と。

 この授業のテーマは、エイズ。感染経路や予防方法などを学んだ後、感染した人の手記を読み、自分自身が、もしくは身近な人が感染症に罹った時の気持ちについて話し合います。その時の問いかけのひとつが、前述のもの。

 タイ国では一九九〇年代にエイズが猛威を振るいました。しかし、それだけに予防教育が広がり、また病気の進行を抑える薬が普及し始めるなど、二〇〇〇年代以降は感染の拡大に歯止めがかかっています。この背景には、感染した人たちが自らの感染を公にして、地域社会の中でのエイズへの意識を高め、受け入れてもらうように努力した積み重ねがありました。

 感染症の広がりは、「うつる」という恐怖だけでなく、「あんなところで遊んだからだ」などと、差別感情までも生み出すことがあります。でも、差別し感染者を排除する限り、病気は目に見えないところで広がるだけでしょう。現実を直視して、正しく怖がることで感染症を抑えることができると、身をもって証明したのが、タイのエイズの歴史です。

 世界的にはまだまだ新型コロナウイルスの感染が収束していません。予防法や感染した場合の治療法が確立されない限りは、今の状態が続くでしょうし、また違うモノが出現するのかもしれません。出現することがむしろ地球の歴史なのでしょう。撲滅するというよりも、付合い方を正しく学ぶことの方が大切なように感じます。

 今月はお盆を迎えます。十三日~十六日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。

「延寿」370号 掲載