「住職の雑感」カテゴリーアーカイブ

光や緑と共にあるということ

 私の感覚だと、梅雨は六月から始まり七月のお盆の頃に明けて、そうすると一斉に蝉がけたたましく鳴き始める、という印象です。今年の梅雨はもう明けたそうですが、まったく鳴いていません。目線を少し上にすると、青い空に雲が浮かび緑の稜線が尖ったり丸くなったりへこんだりしながらどこまでもつながっていきます。峰々の一つ一つには名前があるだろうに、まったく知りません。足下を見れば地面にはさまざまな草花があるのに、やたら蛍袋が増えたなとか、どくだみが相変わらず茂るなとか、百日紅はまだ花をつけないなとか、目立つものはいくつかわかりますが、その他の多くは名前を知りません。子供の頃から興味がなかったからなのでしょうが、日常的に目にする風景を知らないのは残念なことです。

 コロナ禍が始まって二年八ヶ月、ウクライナとロシアの戦争も四ヶ月が経ち、飽きや膠着状態が続いているような印象ですが、関心を失ってしまってはいけません。温暖化などの気候変動や山火事などの災害もまた遠くの出来事のようですが、戦争と同様に原油や穀物の値段が上がったりと、地球上の普く全てに大きな影響を及ぼすようです。自然を眺めていると、その生き物の一生の輝きよりも、子孫をいかに途切れさせないかを最優先にしているように見えます。人も充実した人生を大切にすることは否定しませんが、どうして生まれてきたのかや、授かった命をどうにかして引き継いでいくのかが大事なのでしょう。今放送されているNHKの朝ドラは設定が今から50年程前の沖縄を舞台にしています。子供が結婚をすることが親の悦びである。といったセリフが新鮮に感じられました。巷ではキャンプといったレジャーも人気があるように聞きますが、あまりにも自然から離れた生活をしているからこそ、自然の中に身を置くことで、人もまた自然の循環の一部であることに気づき、喜びとなっているのではないでしょうか。

 今月はお盆を迎えます。十三日~十六日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。

「延寿」382号掲載

OMOYAが始まります

 「どうしてなのかな」とくさくさとした気になることはありませんか?寝不足であるとか、お腹が痛いといった体調によることもありますが、他人のことが気に掛かり、「どうにかならないのかな」とふと心が重くなることがあります。

 さて、お檀家の皆さんや近隣にお住まいの方々や、その他にも大勢の片々のお力添えや、私の気付いていないのかもしれない不可思議な事々によって、二年以上にわたり準備をしてきた『日蓮大聖人御降誕八〇〇年事業』のほとんど全てが、まさしく円成(大成功)いたしました。わずか四年しか勤めていないのに、四百数十年の寺史に足跡を残すことがもうできてしまいました。普通ならばこれでもう務めはお終いと思ってもいいのでしょうが、あれもこれもと新しい想いが涌いてきます。事業の決算などはもう少しお待ちください。改めてご報告いたします。

 『コロナ禍』前から各家に『年回忌法要のご案内』を御命日の数ヶ月前に葉書でお届けするようにしてきました。宛名を書くのが私の担当なので、大正十二年にお亡くなりになった方が今年は第百遠忌に当たることに気付きました。九月一日は『防災の日』で、小学生の時には放送が流れると頭巾を被り、机の下に体を隠したのを思い出します。八王子に当時どれほどの揺れがあり、被害があったのかを知りませんが、過去帳には八人の記名があります。本立寺は都や市と災害協定を結んでいるので、地域の人々にとってのいざという時の確実な依り所にしなければなりません。

 昨年から日常での憩いの場を造っています。天神町の『ぼうけんひろば』のすぐ近くに、九月には完成し運営を始めていきます。ご興味のある方は「八王子天神町OMOYA」と検索をしてみてください。動物は群れをつくり生きてきました。血縁・地縁による共同体にそれぞれがそれぞれの志を尊重しあえる空間を作ってまいります。そこで行われることが多くの人の心を軽くするきっかけとなることでしょう。乞うご期待。

「山風」 91号 掲載

自然の素材でつくり お返しする

 墓苑の見学会を今年から毎月行うようにしました。『タウンニュース』という地域情報誌のSDGs特集の中で、当会の活動がタイミングよく紹介されたことで、先月の見学会には大勢の方にお越しいただけました。

  私は『暮しの手帖』を購読しています。最新号では探検家であり医師でもある関野吉晴さんのインタビュー記事を読みました。「先住民の暮らしには、素材が分からないものはありません。家の屋根や柱、かごや魚網、弓矢などの道具、薪……、すべて周囲の森から素材を取ってきて自分でつくります。不要になれば、森に置いておくと自然に還る。一方、現代の先進国の家を見回すと、素材が何で、どこから来たのか分からないものだらけ。」「木を切って焼き、その灰を養分にした畑で、主にバナナをつくります。収穫したら自分たちが食べ、その排泄物は肥料になる。それでも2年で土の養分が減るので、別の場所に移動する。50年くらい経ったら戻ってきますが、その頃には森が回復しています。」「現代人は自然から奪って、自分の栄養にしておきながら、何一つお返しをしない。」とありました。

 里山墓苑に関心を持ち、いらした方々とお話をしていると、「この骨つぼの木はどこで育ったものですか?」「本当に土にかえれるんですね」「土が好きなんです」といった声を多く聞きました。会員が少しづつでも増えていけば、この社会はよくなって行くはずです。勇気付けられました。

NPO法人 ロータスプロジェクト代表
及川一晋

「LotusNews」40号に掲載

新緑

 人にはそれぞれ向き不向きがあり、好き嫌いもあります。教育の中では、集団生活や行動を通して規律を求め、我慢や頑張りも期待されます。全体の調和こそが良いことで優先されるべきものだと叩き込まれて来ました。私が生まれ育ち、今は住職をしている本立寺では、昔から寄宿生活での僧侶養成教育をし現在でも行っています。私は割りと決めたことを通そうとします。他に強要しているつもりはありませんが、立場もあってかそうは見えず、周りを窮屈にしているのかもしれません。三月には三年間の決められた期間を経て、二十歳台の二人が卒寺し、四月からは五十歳台の僧侶希望者が入って来ました。

 桜の花が散り始めると、落葉樹からはどこからその力が湧き出てくるのだろうかと、不思議に小さな葉が一斉に姿を現します。常緑樹でも冬の間も枝にしがみついていた葉がついに落ち、新緑が目立つようになります。地面からも草が顔を出し、本当は名前があるだろうに「雑草」と十把一絡に格闘を始めます。私は「暇」を好まず、たいした娯楽もせずに、全てを「仕事」として詰め込んできました。

 私の書斎からは池が眺められ、時には幼児の声も聞こえてきます。そこに鴨の夫婦(つがい)がやって来ました。ときには泳ぐこともありますが、大半の時間を小岩に座り陽向ぼっこをしているようにしか見えません。ここに至るまでには卵からヒヨコになり親から守られ、そしてついには巣立ち苦闘があり、幸いにも伴侶に恵まれた姿なのでしょう。彼らにとっての一大事は、親がしてくれたように抱卵し、次世代に命を継なぐことに決まっています。草にしても同じことで、全ての生命は継承こそが最も大切なことであって、他はありません。「天の三光に身を温め 地の五穀に魂を養う」のです。私は五十五歳になりました。同年輩の社会人はラストスパートで第四コーナーを廻りました。まだ若いんだから、とも言われますが、真に受けずスパートをかけてまいります。

 家に居ることが多く、体を動かす機会が減った方も多いでしょう。どうぞ体調の変化にお気をつけください。延寿院の自然は元気です。いらしてみてはいかがでしょうか。

「延寿」381号掲載

慶讃 日蓮聖人 八〇〇歳 

 日蓮聖人がお書きになられた『妙一尼御前御消息』に「冬は必ず春となる」という一節があります。季節は行きつ戻りつしながらも必ず廻るということと、雌伏している時こそが大切なのだと言うことを教えています。私は小さい頃から計画的でした。例えば試験前になると部屋や勉強机の片付けをし、まず場を整える作業をしないと気が済みませんでした。次には一週間の過ごし方をこの日の何時から何時までは数学のここをするという風に表にします。これくらいしとけば大丈夫であろうと算段をつけるわけです。担任の先生や親兄姉から準備法を教わったのでもありませんが、とにかくそうして来ました。「三つ子の魂百までも」で、その性癖は今でも変わっていません。むしろより周到になっているかもしれません。しかし、社会にあって仕事をする中では、自分の意図したようには上手くいかないことに気付くようになりました。自分一人の努力ではどうにもならない「縁(つながり)」の作用があるということです。思いの強さを如何に伝え共感してくれるかが大切になります。

 私が住職に就任した平成三十年四月は、『日蓮聖人御降誕八〇〇年』までわずか二年十ヶ月のタイミングでした。まずは本立寺の日常に自分の感覚を慣れさせることから始め、九月に『法燈継承(住職交代)式』という内外への披露を実行することを目標にしました。初年度を無難に終えると、分析をし課題の抽出をし、現状の問題と近未来の課題に対して処方箋を作り、同時にチーム作りをしなければなりません。従来から寺に関わっている者の意識を高め、お檀家の参画を促します。停滞していた「世話人会」の名簿整理をし、新たに就任していただく方を募りました。本立寺がどのように見られてきたのか?まずは寺に来やすくしよう!私が意図したことも、しなかったことも、全てが良縁となって新しい風がビュンビュンと吹いて来てくれました。

 今月、一年の延期を経て京都より日蓮聖人(=御真骨)に御来駕(=出開帳)いただき『八〇〇年』が行えることは奇跡的なことです。総代さんなど大勢の人たちと「オンライン」「オフライン」の行事として成功するよう準備を進めています。どうぞ振るってご参加ください。

「山風」 90号 掲載

NPO会報によせて

 お仏壇がある家には、そこに先祖を祀るお位牌の他に、没年月日・没年齢・俗名・続柄・戒名が筆書きされた「過去帳」が大概あります。同様に寺には檀家物故者を記した記録があり、16世紀後半から19世紀後半の約300年間を整理データ化し始めました。まだ1/5の入力を終えたところですが、改めて、人は死んでいくんだな、繋がっているんだな、とお一人お一人が過ごした時を想像しながら作業をしています。

 私一個人の命は有限であるし、その終わり方がどのように迎えるかはまだ分かっていませんが、世界や地球環境は変化をしながらもまだまだ続いていくはずです。昨年から今年にかけて、私の近親者がお二人亡くなりました。高齢で認知症で施設で亡くなりました。この二年間会うことはできませんでした。棺の中にいる姿で久しぶりに会いました。お二人ともに私がお経をあげてお見送りをしました。そのようなことからか、一族の「家系図」作成を思い立ちました。親戚が集まり、故人の思い出ばなしになったものの、よく判らないこともあったからなのだと思います。役に立ったのは、祖父や曽祖父が「過去帳」に書いていてくれたことでした。私から五代遡ることができ、枝葉の広がりに驚きました。お名前には覚えがあったものの関係性が確認できたことが何故か嬉しくもありました。これで、私の子供たちにも伝えられるようになりました。

 今年もまた里山にはきれいな花々が咲き誇ることでしょう。生命の輝きを見にいらしてください。

NPO法人 ロータスプロジェクト代表
及川一晋

「LotusNews」39号に掲載

東京里山墓苑 その後

 延寿院が経営している里山型樹木葬の「東京里山墓苑」は数年の準備期間を経て平成二十三年から始め、延寿院のお檀家さんやご親戚で利用している方も含めて既に三百人近くの方がお申込みになり、百三十人以上が埋葬されています。昨年の同時期の本紙では、墓苑が「大変なことになっている」「魅力の発信が足りていない」と書きましたので、この一年間の取組を報告します。

 リモートではありますが、定期的な会議をきちんと行い、私が主宰するNPOの中山るりこさん(延寿院檀家親戚でもある)と総代の佐藤衛さんが参加してくれるようになりました。「規約」「契約書」「パンフレット」などは以前から手伝ってくれている星野良太さんが見直し作業をし、吉野純子さん(前住職寺井上人長女)が月に六回ほどのペースで境内や墓地の清掃をしてくれるようになりました。会計は従来から私の妻及川暁子さんがしてくれています。私自身も昨年1月から全ての問合せ対応や見学案内をするようにしてきました。広告宣伝は中山さんを中心に、従来の「新聞折込」に加えて「ポスティング」を行い。「ホームページ」を改良し、「SNS」にも取り組みました。私が直接お話を聞くようになったので、要望に速やかに対応できるようになったのは良いことですが、一方で商売をしているような感じもあり、目的を見失わないように自らを諌めています。見学に来てくださった方のほとんどは、環境や取組に共感してくれます。この一年の大きな変化はチラシなどの紙媒体からアクセスする方が減り、インターネットからの情報でくる方が増えているということです。

 昨年は従来からの懸案であった「隣地の購入」が、本立寺檀家の鈴木さんが仲介してくれたことによって成就し、今年からバリアフリー化の施設整備が大きく進み始めます。そして、先月には隣市で養蜂業を営む方がふらりと来訪され、山の土地を借りたいとの提案を受け、トントン拍子で三月から養蜂が始まることとなりました。この次は………間伐材で「椎茸栽培」でもしてみたいなと思っています。どなたか手伝っていただける方はいませんか?

 「暦」による私の運勢は、昨年は「慢心するな」との警句でしたが、今年の運気は極めて旺盛で、「今までの努力が実り、決着する多忙な年」とありました。励まされます。弱い立場の人が、最後には必ず上手くいき幸せになる、へこたれないように「大丈夫だよ」と言って安心していただけるような取組を増やして行きたいと思っています。

「延寿」380号掲載

NPO会報によせて

皆さま 明けましてお芽出とうございます。

 私のところには、さまざまな方や団体から「お便り」が毎日のように届きます。「またか」と思うところからのものもあれば、楽しみにしているものもあります。以下に「あ そうか」と気付かされましたので転載します。一度ではなく二度も三度も、そして日を変えて読んでみると違う思いを持っていただけるかもしれません。

傷もなく、つややかに実ったリンゴと傷ついたリンゴ。
私たちは、たくさんのリンゴから一つを選ぶ時、傷ついているよりもきれいなリンゴを選んでしまいがちです。しかし、傷ついたリンゴがおいしくなることをご存知でしょうか。
木になっている間、リンゴは傷のついた部分を治そうと陽の光を浴びた葉からの栄養を蓄え、旨味が増す・・・
眼からの情報にとらわれて、簡単に比べてしまう私たち。
しかし、比べるということは見えない部分=本質を見失わせがちです。
傷があるから甘くなる。
あなたの傷は、きっとあなたのココロに栄養を蓄えることでしょう。
一時の痛みは、痛みを知る優しいココロを育てるでしょう。
新しい一年が始まろうとしています。
見える傷に囚われず、本質を見抜くココロの目を持つ一年になりますように。

(東松山市妙昌寺「寺報」87号より)

 若い頃は、なんでも人と一緒がいい。そうあるべきだ。と思っていました。でも現実にはそうもいきません。ひそかに、人よりも抜きん出ていたい。とも思っていました。でも現実にはそうもいきません。

 最近は、まあこんなもんかな。とも思いますが、もうちょっと頑張ってみよう。と少し欲張ってみるところもあります。何をやっても、誰かのお陰なんだな。なんてしたり顔になることも少しですが増えてきたような。

 今年も同じことを繰り返しながら、耳を傾けながら、気付ける自分でいられるようにしてまいりたいと思っています。

 どうぞ、本年も当法人へのご賛助をお願いいたします。

 元旦より、皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

NPO法人 ロータスプロジェクト代表
及川一晋

「LotusNews」38号に掲載

身命を愛せず 無上道を惜しむ

 春の始の御悦びを申し上げます。

 今のこの状況が始まってから、二年が経ちました。この間に総理大臣が二回代わりましたが、政権に変化はありません。イギリスでは保守党と労働党、アメリカでは民主党と共和党が二大政党で政権交代が行われます。日本では戦前の一九三〇年前後に立憲政友会と立憲民政党が並立したことがありましたが、わずかな期間であり、五・一五事件の軍事クーデターによって政党内閣は崩壊しました。その後は近衛文麿を除くと軍人出身の首相が続き、敗戦を迎えます。戦後は象徴天皇制となり、選挙制度も変わり民主主義は大きく前進しました。しかし、五十五年体制は自民党と社会党による二大政党制のようですが、万年野党と言われたように、政権交代は起こりませんでした。二十一世紀となると、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制になり、政権交代しやすい選挙制度が「衆参のねじれ」を生み、比較的短命な政権が「決められない政治」と「国際的地位の低下」をもたらしたかのようになりました。二〇一一年の東日本大震災と福島第一原発事故は、翌年には民主党政権を吹っ飛ばしました。

 それから十年が今の姿です。コロナ禍は政治社会に大きな影響を及ぼしていますが、更に個々人や家族という単位へものすごく大きな影響を与えつつあります。もう他人事ではなく、自分ごととして考えざるを得ない機会を与えてくれています。日蓮聖人は『立正安国論』にこのように書かれています。

  世皆正(よみなせい)に背き、人悉く邪に帰す。故に善神は国を捨て去り聖人は所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たりて、災難並び起こる。

  仏法隠没(おんもつ)せば~衆生及び寿命色力威楽減じ、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。

  法華経に云く、我身命を愛せず、但(ただ)無上道を惜しむと。

  国は法に依って昌(さか)え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき。法をば誰か信ずべきや。先づ国家を祈って須(すべか)らく仏法を立つべし。

 どんな国というよりも、どんな社会であったらいいのか、どんな暮らしがしたいのかを主体的に考える人が増えていくことでしょう。ただし、七六〇年前に言われたように「身命を愛せず 無上道を惜しむ」と次世代に持続可能な社会となることを期待します。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」379号 掲載

謹賀新年

 春の始の御悦びを申し上げます

 何の根拠もありませんが、「コロナ禍」が収束したような気分になっています。「非常事態宣言」は九月三十日に解除され、リバウンド防止のための施策も段階的に現状を確認しながら緩和されてきました。日本だけがなぜか鎖国をしているように安穏に恵まれていることが不思議でなりません。それでも、この状況が始まってから既に丸二年が経ち、換気は常に必要でしょうが、人と人との接触をいつまで制限し続けなければならないのかと、贅沢にも考えてしまいます。

 夕方から一人で呑みに行くことが全く無くなっていましたが、久しぶりに出かけたところ、常連さんたちと会い、お互いに知ったもの同士で飲むのは安心だよね、となりました。甲州街道の並木がきれいですよね、と会話が続きます。昔の八王子は十一月中には落葉していたんじゃないかな?暖かくなったねと。この二年の様子から、二〜三十年の話しになり、さらに、太平洋戦争開戦から八十年だってねとなりました。コロナで萎縮した見方から開放され、過去を振り返り、未来の僥倖を想像する元の生活に一時ですが戻れたようでした。

 個々人の自由を尊重する態度が家族の形態をも変えてきました。日々の暮らしの中では好都合なことが多いようにも思います。しかし、いつ起こるともわからない災害時のことを思うと、日々の生活から培われる「共助」がないと、「自助」や「公助」だけではどうにもなりません。ソーシャルディスタンスという言葉が一般化した今、改めてお寺こそがいい距離感の場となり、僧侶からいいお節介ができないかと考え、他者を仲間として身近に感じる空間を作っていきたいと思っています。

 この原稿は皆さまが穏やかに新年を迎えることを祈りつつ、十二月十二日に書いています。元旦から十日間の「七福神めぐり」にはお寺におりますので、ご挨拶をさせていただきます。

「山風」 89号 掲載