コロナ禍体験記

 東京オリンピックの閉会式が行われた後の旧盆の頃、西日本では集中豪雨による災害があり、甲子園の高校野球も随分影響を受けていました。このように通年の八月とは趣きが異なり、原爆投下・御巣鷹山の日航機事故・終戦記念日などの個々人による静かな祈りがかき消され忘れられる程で、祝祭事の基底にある追悼を、さらにコロナ禍のザワツキが人々から慮る余裕を失わせてしまったように感じました。

 そのコロナ禍が顕在化して既に六百日以上が経ちました。本立寺では昨年八月に住職の家族が感染し、保健所の指示によって全員が濃厚接触者としてPCR検査を受け、全員が陰性ではありましたが二週間の健康観察期間となり、予定されていた法事を延期、葬儀を新宿常圓寺が代行、日々の受付は接触を避けるために雪見障子越しで応対となり、個々人も生活が制約され大変な思いをしました。それ以降、寺では食事時間をずらすことで一度に食べる人数を制限しアクリル板を人と人の間に設置し黙食を励行、ドアノブなど共通して触れる場所の消毒をしてきました。今年の七月下旬には僧坊で生活する五人の内一人が感染。今回は庫裡に暮らす住職家族は検査の対象にはならず、不在中の一人を除く三人が検査陰性でした。しかし自室療養となり、台所・風呂・便所などの共用スペースは消毒を心懸けましたが、もう一人から症状が出て自ら簡易キットで検査し陽性、医師の診断を受けコロナが確定して自室療養となりました。寺は住職と通勤の僧侶の二人だけで法務を行うこととなりました。僧坊の二人は恐らくデルタ型で、昨年とは異なって後遺症もそれぞれに残り、味覚障害や頭痛から未だに本復していません。二人とも罹らなければよかった、と言っています。幸いにも老親は二度のワクチンを打ち終えましたが、若い人たちにはまだ順番が回ってきません。フェーズが変わったことを実感しています。出来るだけの注意を怠らず、活動出来ることと、してはいけないことに分け、こういう事態だからこそ寺がすべきことを見つけ、前向きに進めています。

 その上で、私は僧侶ですから、お経をあげ祈りを捧げ、そして自らの免疫も上がることを信じています。いつの間にか日は短くなり、夜になると虫の音が聞こえてくるようになりました。お彼岸を迎えます。お寺に安心してお参りください。

「山風」 88号 掲載