「住職の雑感」カテゴリーアーカイブ

NPO会報によせて

 東京里山墓苑がある延寿院では、久し振りにご法事をしました。もともと法事が少ないお寺ではありますが、2ヶ月以上勤めていませんでした。お経とともにしとしとと降る音が耳に入ってきます。東京の梅雨は6月初旬から7月中旬のお盆まで続きます。お参りの方々には生憎の天候でしたが、数千年かそれ以上も続いている中国大陸からの雲の流れが変わってしまえば、大変なことになります。私のご法事の仕方は前に少し説明的な話しをし、後でも短い法話をすることにしています。その時、ウグイスが「ホーホケキョ」と谷渡りました。ときおり薄日がさす陽気に、新緑はとっくに過ぎましたが雨で緑が濃くなり、葉先からこぼれる雨水はより自然を豊かに見せてくれています。世の中は大変ですが、ウグイスは求愛し、自然は元気です。人間のみがむしろ困っているのではないでしょうか?行動が抑制され、その結果、空気はきれいになったのではないでしょうか?せっかく皆さんでお経を読んだのですから、視点を変えてみてはいかがでしょうか?今日、今だけでも仏さまの視点からものを見、考えてみましょう、と話しをしました。

 「送り火」の頃には、いつものようにセミが大合唱を始めることでしょう。まだまだこの状態に慣れることは容易でありませんが、自然に寄り添うようになさってみてください。

「Lotus News」 33号掲載

正しく学び 畏怖する

 私は随分前から「アーユス仏教国際ネットワーク」という、一九九三年に超宗派の仏教者を中心に創立された国際協力のボランティアを行うNPO団体と付合いがあり、お彼岸やお盆の頃に発行する「栞」を送ってくださっています。今夏の「栞」に「正しく怖がるために」という一文を掲載していたので紹介します。

 「自分が病気に罹った時、人に言える病気と言えない病気がありますか?ある場合、どういう病気だと人に言えませんか」

 高校の保健の授業で、生徒に質問します。生徒の多くの答えは、

 治らない病気だと言いづらい。人にうつす病気だと言えない。

 というもの。そして、彼らは考えます。どうして言いづらいのだろう。言いづらいけど言わないといけない時って、どういう気持ちになるのだろう、と。

 この授業のテーマは、エイズ。感染経路や予防方法などを学んだ後、感染した人の手記を読み、自分自身が、もしくは身近な人が感染症に罹った時の気持ちについて話し合います。その時の問いかけのひとつが、前述のもの。

 タイ国では一九九〇年代にエイズが猛威を振るいました。しかし、それだけに予防教育が広がり、また病気の進行を抑える薬が普及し始めるなど、二〇〇〇年代以降は感染の拡大に歯止めがかかっています。この背景には、感染した人たちが自らの感染を公にして、地域社会の中でのエイズへの意識を高め、受け入れてもらうように努力した積み重ねがありました。

 感染症の広がりは、「うつる」という恐怖だけでなく、「あんなところで遊んだからだ」などと、差別感情までも生み出すことがあります。でも、差別し感染者を排除する限り、病気は目に見えないところで広がるだけでしょう。現実を直視して、正しく怖がることで感染症を抑えることができると、身をもって証明したのが、タイのエイズの歴史です。

 世界的にはまだまだ新型コロナウイルスの感染が収束していません。予防法や感染した場合の治療法が確立されない限りは、今の状態が続くでしょうし、また違うモノが出現するのかもしれません。出現することがむしろ地球の歴史なのでしょう。撲滅するというよりも、付合い方を正しく学ぶことの方が大切なように感じます。

 今月はお盆を迎えます。十三日~十六日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。

「延寿」370号 掲載

一人ひとりに伝えたい

 私は二十八歳の平成八(一九九六)年一月から、八王子市川口町延寿院の住職に就任し、住職になる前に働いていた新宿区常円寺執事を平成十一年四月から務めることにもなりました。振り返ると様々な仕事をさせていただきました。平成十四年には「日蓮宗立教開宗七五〇年」を迎えましたので、建物の改修や新築をいくつかしました。建てるのは業者がしますが、寄付を募る以上は役員への説明やお檀家へのお願いを説得力を持ってできなければいけませんし、業者選定や設計士との折衝には専門知識も必要になります。平成十九年四月からは執事長に就任しましたので、寺全体の経営や他のお寺との交渉も必要になりました。そんな中でも力を入れていたのは記録類の電子化でした。寺には古くからの檀家名簿や亡くなった人の記録、そして各種入金記録や供物施入記録がありました。これらを入力し、お檀家一家一家に割り振った番号(ID)にまとめていきました。そして寺の業務内容をまとめる意味でもホームページ(以降HP)の開設を企図しました。もちろん専門の方に協力をしてもらいましたが、コンテンツとラフデザインは自分で考えました。作りっぱなしで内容の変化がないのは面白くないので、日々の寺や僧侶の考えが伝えられたらと思い、「働く執事の徒然日記 執事の雑感」というブログコーナーを作り、執筆してきました。本立寺住職に平成三十年四月から就任し、同時に常円寺を退職しましたので、そのブログへの執筆は終わりました。

 昨年の当山「お会式」は台風十九号が直撃し、法要の内容を変更せざるを得ませんでした。お檀家の皆さんへ前日や当日に通知する術はなく、誰も見てはくれないだろうな、とは思いつつ当山のHP「お知らせ」に告知しました。それからは寺の公式な見解や立場をもHP上に掲示することは重要なことだと、より強く思うようになりました。従って、今回の「非常事態宣言」への対応も比較的適宜適切に行えたように思います。この災禍が過ぎ去ってくれたとしても、昔から言われてきた「手洗い・うがい」は励行すべきですし、日常を取り戻すためにも「新常態(ニューノーマル)」に取り組んでいかなければなりません。

 間もなくお盆となります。いつものように先祖をお迎えください。ただ、お寺は少し工夫をして「お施餓鬼会法要」「棚経」をいたします。

「山風」 83号 掲載

今、未来への扉が開きました。

みなさんはステイホームでできた時間をどう過ごしましたか? 私は日頃はできずにいた整理整頓をし、「平成」に入る前後に発行された雑誌を読み返していました。

私たちのNPO は里山保全を活動の一つとし、いわゆる循環型社会を目指しています。そこには宗教的にもあらゆるものが包摂され、万象のバランスが均衡し成立していると言えるでしょう。この当然なことが、手にした雑誌にもすでに書かれています。つまり、人はすでに30年前に、否、それ以前から気づいているのです。一人では生きられないことをすべての人が自覚した今こそ、「行動すること」が求められています。扉が開きました。いい社会が眼の前に見えています。

季刊ロータス「LO+」22号掲載

撥草瞻風

 昨年の今頃は天皇陛下がお代りになって、元号が「令和」となり細事はあったものの、東京オリンピックへの準備もラストスパートといった明るい雰囲気でした。それが一変、バブル経済が崩壊した後でさえ三十年も不変と思われていた社会や国という大きな組織が、目にも見えない生命とも言えないものによって、大きく舵を切ろうとしています。これを好機と見れるかは今までの過ごし方によるのではないでしょうか。世界各地から届く諸変化にじっと耳をそばだてると、地球の陣痛の苦しみが伝わって来るようでもあります。心身を解き放ち、世界の響きとその音を素直に受容できれば、近づくステージが用意されているとも考えられることでしょう。

 自然は当たり前のように「山笑う」季節を迎えました。木々は各々の色と形にいのちを溢れさせています。一方で人間は「ステイホーム」の掛け声のもとに逼塞した生活を強いられ、ゲームなどに倦み飽きた子どもたちに見せたいようであります。

 五十歳代にもなると「らしく」振る舞うことの欺瞞に抵抗を憶えることも多くなります。これは経験してきたことによる善悪の基準を、自分の中に正しく持っているかのように錯覚してしまうからなのではないでしょうか。八王子市内の古刹をお参りした際、寺内の石柱に「撥草」と文字が刻まれていました。帰って調べてみると「撥草瞻風(はっそうせんぷう)」という禅語があり、「草をはらい 風を見る」修行行脚(あんぎゃ)のことでした。私は「正しいと思える師に出会えたならば あとはまっしぐらに進めばよいだけ」との教えであると理解しました。

 私の一番弟子(長男光介)が新宿での随身生活を発心(ほっしん)しました。親としてはウロウロしてもいい、けれども師匠としてはまっしぐらに行って欲しい、と願っています。人間の成熟とは、自分の内奥からほとばしる実直なみずみずしい声が聴こえ、支えとなってこそ意味があるのです。

「延寿」369号掲載

NPO会報によせて

 気候の急激な変動との関連があるのかは分かりませんが、未知の疾病が地球全体を覆い尽くそうとしています。社会生活や経済活動は既に深刻な影響を受け、このことが一人ひとりの心の中にまで不安をもたらし、収束の兆しは見えません。このように不確かさが増している時にこそ、当たり前のことを改めて確認することも大切なのではないでしょうか。

  確かなことは、
  人間は死ぬということ
  その定められた日、時間まで
  待たねばならないということ
  その時までに何が起こるかは
  誰にも分からないということ
  そして、その間に起きた事は、
  ほとんどがその人とともに
  消えてなくなるということ

 このことを踏まえてこそ、生きていくことの本質、本当に大切なことや、それでも次の世代に残し伝えたいことを考えられるのではないでしょうか。

 人は孤独ではありません。今回のウイルスが人から人へと感染していくのはそのことを証明しているとも言えます。人は自然に包摂されてもいます。改めて繋がりの有り難さを感じてはどうでしょうか。仏教では三毒を人間悪の根源とし、その毒の一つが「愚痴」であり、より少なくすることを修行の目的としています。隔離やさらに増長しての差別は決してあってはなりません。

「LotusNews」32号掲載

記憶の継承

 最近のご葬儀では、お通夜を勤めることが必ずしも絶対ではなくなってきました。そして、随分前から直葬が増え、家族葬が当たり前になっています。このような風潮の中でも、私はお亡くなりになられたと聞くと、すぐご自宅に伺いご遺体と対面して行う「枕経」を大切にしています。

 僧侶としてご葬儀に携わるようになったのは、約三十年前からです。それ以前で記憶にあるのは、保育園の同級生が交通事故で亡くなったときに参列したのが初めてで、元気に一緒に遊んでいたのにあっけなく会えなくなってしまうんだなとは思いましたが、それよりも、園代表のもう一人の女の子と手をつないだことの方が感触に残っています。小学生の時の身内の葬儀で、棺の蓋を閉じるときに「二回だよ」と言われ叩いた音も耳に残り、出された寿司桶に並ぶ色鮮やかさも目に焼き付いています。

 昭和は天皇の崩御で終わり、私は八王子に生れ育ち当時は新宿に住んでいましたので、新宿御苑での大喪の礼や、多摩御陵(たまごりょう)と呼び慣れていたのが武蔵野陵(むさしののみささぎ)と呼び名が変わって不思議に思い(後で大正天皇陵が多摩で昭和天皇陵が武蔵野と解りました)、後に東京都知事になった猪瀬直樹のデビュー作『ミカドの肖像』を読んだのも、社会の不思議な雰囲気の中で「ミカド」に惹かれたのかもしれません。僧侶となり、ご葬儀には数え切れないほど出座しました。遺骸に手を合わせること。ご導師の法話や喪主のご挨拶や弔辞を聞くこと。その一つ一つが私の糧になっています。当時の参列者は百人から二百人以上で、会社を創業した方の「社葬」も度々ありました。印象深いのは戦死をした方の五十回忌法要が多くあったことです。社会としては、亡くなられた方への「いのり」がこの頃にピークを迎えたのかな、と今では思えます。

 昨年、お檀家の中島裕さんからシベリア抑留を記録した『我が青春の奇跡』を贈呈していただきました。ご自身が描いた絵と文章を読むと申し訳ない気持ちになります。私が子どもの頃に実感したように、今の子どもたちにも記憶に残るような「看取り」や「見送り」を心掛け、今後も「今際(いまわ)の際(きわ)に携わってまいります。

「山風」82号掲載

老・病・死に寄り添う

 世間は大変なことになっています。昨年の十二月に中国の武漢市で発症が報告された「新型コロナウイルス」が、日本を含め世界五大陸に拡がり、止まることをしりません。身近で感染した人はいませんが、日々刻々もたらされる情報により、各人が立ち話、挨拶話をすることで大変なことになっているようにも感じます。つまり、「よくわからない」ということが大変なようです。しかしながら、注意すべきことは、「バスや電車での混み合った状態での乗車を避ける」「帰ってきたら手洗いやうがいを励行する」といったことで、子どもの頃から言われてきたことを真面目に愚直に万人が行うことがパンデミックを避ける秘訣のようでもあり、当たり前のことを当たり前のように行うことがいかに難しいかを教えてくれているようです。

 たまたまですが、時を同じくして普段はまったくいかない病院へ度々行くことになりました。隣県にある大規模病院で、自動車でちょうど一時間の距離にあります。約二十年前にお檀家の女性から相談を受けました。その時には無かった言葉ですが今流行りの「墓じまい」のことから、ご先祖の「永代供養」を、そしてその女性がお亡くなりになった際の「葬儀」の喪主と導師を勤めることを約束しました。まだその方も七十歳代で私も三十歳代と今から考えれば若くて、随分と安請け合いをしたものです。三年前には公証役場での「遺言書」作成のお手伝いをし、二年前には「死後事務委任等契約」を交わしました。つまり、その方のあらゆることを委ねられました。昨年夏に入院し、その手続をしますが、そういった際には必ず医師から説明を受け「急変時の対応」について、いくつかの「する」「しない」の選択を迫られ、サインをしなければなりません。もう二十年以上のお付き合いですから考えは理解しているつもりです。病室で二人になって話すことは、昔のことやみんないなくなってしまった家族とのことをずっと聞いています。それで十分に理解できます。親戚でもなんでもないけれど、なんだか馬が合うし、いい関係のようです。病院に行くと様々なことが見え、凝縮された社会を目にします。いつまでも病院に行けるか分かりませんが、刻々と変わる状況の中で大切なことは何なのかを学び、判断ができるようにしていきたいと思います。仏教が古から教えている「老・病・死」から、今を生きることの大切さに気づかされます。

「延寿」368号掲載

信たりて宝をなす

春の始の御悦びを申し上げます。

 昨年、本立寺の近所に住んでいる子育て中の方から「お寺を子供の居場所にしてもらえませんか?」という相談を受けました。「どうぞ お安い御用ですよ」と当たり前のことと即答しました。
 振り返ると私の子ども時代は、町の中に子どもがあふれ、放課後の校庭はもちろん空き地でも遊び、寺の境内や墓地でさえいい遊び場でした。しかし、最近のニュースでは、出生者数は政府の予想よりも二年も早く90万人を割り込み87万人余、お亡くなりになった方は137万人を超え、差し引きすると51万人も人口が減り高齢化が進んだようです。13年連続での総人口減少は今後も常態化し加速度を増していきます。
 子どもの数はどんどん減っているのに、居場所がなくて困るというのはどういうことなのでしょうか?老親と同居する若い家族が減った。夫婦がフルタイムで働くようになり専業主婦が減った。などの従来の居場所が無くなったことが原因なのでしょうか?親族やご近所での助け合うことも難しくなってきているということなのでしょうか?公的な施設整備を進めていても需要に追いつかず、施設運営を担う人材育成もままならないのかもしれません。
 いずれにしても社会環境の変化が急速に進み、私の子どもの頃の体験を思い返しても何も役に立ちません。それでも私たちはこれからどんな社会を作り希望を持っていけばいいのでしょうか?現実はインターネットを駆使して情報を、より多くの収入を得て、お金でサービスを買い、子どもに与えられる人が幸せだということになってしまい、子どもを産み育てることをあきらめてしまう人もいるのかもしれません。他方では、あと数年で団塊世代が後期高齢者となり、保険や年金制度が危ぶまれるかのように喧伝されます。子どもやお年寄りを大切にしない社会は衰退に向かうことは必然です。

 そんな社会状況の中で、近所のお母さんが私に相談してきてくれたのは、ご自分の子ども時代に、よく寺の行事に参加し遊ばせてもらった体験があるからのようでした。まだまだお寺を信用し期待をしてくれる方がいらっしゃいます。
 私はお寺がこのことを解決できる可能性を持っていると感じ始めました。お寺を多くの方の居場所にしていきます。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」367号掲載

NPO会報によせて

 皆さま 明けましておめでとうございます。

 昨年は践祚「令和」と改元、大嘗祭などの古式が厳かにおこなわれ、祝賀ムードも八王子にある御陵への天皇皇后陛下の墓参まで続きました。世界を見渡せば、香港での民主化運動や熱帯での大規模な森林火災、イタリア・ベネチアの高潮による浸水があり、日本でも数度の台風による大きな災害があったことは記憶に新しいところで、異常気象とは言えなくなりつつあるようです。

 「SDGs」というフレーズを聞くことが増えてきました。「G」はゴールのことで、明確であり実行した結果得られなければならない目標を持つことと理解しています。私たちのNPOが管理運営援助している「樹木葬」は里山の復活を目標にかかげてコツコツと活動をしてきましたが、「街」「人」「寺」を結びつけることも同時に仕事とし、主に西新宿で「マルシェ」「映画」「ワークショップ」を定期的に開催し、そのことを「フリーペーパー」「ホームページ」「フェイスブック」で広報してきました。新たにその活動の場を八王子でも展開するために準備を続けています。今年から八王子市のブランドメッセージ「あなたのみちを、あるけるまち。八王子」に触発され、具体的な「町づくり」を行政・教育機関・様々な活動団体・地域住民(町会)と連携し主となって担ってまいります。私たちの「夢」がまた一つ形になろうとしています。

 どうぞ、本年も当法人へのご賛助をお願いいたします。  元旦より、皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

Lotus News掲載