七難即滅 七福即生

 お経を読む際に「七難即滅 七福即生」と申し上げることがあります。今はあまりもてはやされないかも知れませんが、人は「美白」を好み「色白は七難を隠す」と言われていました。この場合の難は欠点という意味なのでしょうが、セクシャルハラスメントですね。『法華経』では「七難」を災難の総称としても使われていますが、火事や大雨などによる自然災害の他にも「刀杖(とうじょう)難」と言って 、人が武器を持って争うことによる難も含まれています。

 そうなると、今、世界中で起きていること(災難)を、どのように理解すればいいのでしょうか?(A)大昔から時々起きていることだから、治まるまでじっと待つしかない。(B)この災難が起きる原因を突き止め、その改善策を作成し実行すべき。私が考えるには、多くの日本人は(A)を好んできたような気がします。ですから、今お国がなさっていることは、いかにも(B)のように振る舞って、結局は(A)になることを見越しているように感じます。

 七百年以上前の日蓮聖人は、もっぱら(B)でした(と私は思っています)。と言うことは、少数派であったことは当たり前ですし、野党的であるし、常に体制に対して正論を主張し続けました。そうであったならば、日蓮聖人派である私は、どうしたらいいのだろうかと悩みます(悩んではいけないんだけれども)。つまり、私自身も言っていることは(B)なのに、やっていることは(A)ではないかと。もちろん、私一人で、しかも、今、この時代に、全てを解決することなどできないことは分かっていますが、言行一致となるように。今更ではありますが確認しました。これが出家の茨の道なのでしょう。

 お彼岸を迎えます。ご先祖との繋がりを感じていただき、お寺に安心してお参りください。

「延寿」383号掲載