師走から睦月へ

 春の始の御悦びを申し上げます。

 十二月の和風月名を「師走(しはす)」と言います。僧侶が檀家を訪れ読経をするために、町や村を東奔西走する姿を由来としているようです。そうならば、お盆も当てはまるのではないかと感じますが、七月は「文月(ふみづき)」と言い、稲の穂が実る頃の意味のようです。

 お寺さんにもよりますが、歳末には「御札」や「幣束」を配り、ご先祖への供養と明年の一家の安泰を祈りに伺います。その御札の中には「三宝荒神(さんぼうこうじん)」があり、毎日料理をするのに使ってきた「釜」を閉めて、三ヶ日は料理をせず「お節料理」で済ますという伝統から、「除 火難水難」の御札となっています。ですから年末にお経に伺うことを、私たち僧侶は「釜〆(かまじめ」と呼んできました。ただし、お檀家のお宅が寺の回りに集まっているような社会ではなくなったので、遠方には自動車で行くようになっています。街に僧侶の姿を見かけることは少ないでしょう。時代や社会の変化に合わせつつ、伝統文化を継承していくことの難しさを感じています。

 昨年は何度も、「マイナンバーカード」作成を推奨する封筒が届きました。個人情報流出の懸念もあり、躊躇していましたが、マイナポイント(二万円相当)の誘惑から申請し、手に入れることもできました。人に行動を促すには「釣り」というインセンティブ(動機付け)が有効なようです。戦争の現実を知らされると、命の大切さや普通に過ごせていることの有り難さに、改めて気付くことができました。手芸などはそうなのでしょうが、淡々とした作業に打ち込める心のありようは、一時でも外界から遮断され「無」となります。私が日々淡々とお経やお題目をお唱えしているのも同じです。無となり、その安心が新たな何かの出発となって行くことを実感しています。

 一月は「睦月(むつき)」と言い、お正月に親類一同が集まる、睦び(親しくする)の意味からきている、とのことです。皆様はどのように新年を迎えているのでしょうか。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」385号掲載