NPO会報によせて

 皆さま 明けましておめでとうございます。

 私たちのNPOの活動は、主として八王子延寿院での里山保全活動などと、新宿常円寺での、街と人とお寺を結びつける活動をしてきました。

 私が住職をするお寺が昨年からまた一つ増えました。JR八王子駅南口から西の方角に10分ほど歩いたところにあるお寺で、「長光山 本立寺(ほんりゅうじ)」と言います。八王子では30年以上も前から『七福神めぐり』がさかんに行われてきました。特徴はお参りする先に神社はなく、すべてお寺であるということと、八王子の「八」にちなんでなのか、神さまも8人(七福神=毘沙門天・恵比寿天・福禄寿・布袋尊・大黒天・弁財天・寿老尊+吉祥天)で8ヶ所をめぐります。所定の「色紙」に判子を押してもらいながら、2時間30分のアップダウンの少ない行程ということもあって、年々参加者は増える一方で、1/1〜10の期間中に1万人以上がお参りにいらっしゃいます。この数年は『お朱印』もブーム。日蓮宗のお寺では別に『御首題(ごしゅだい)』という「南無妙法蓮華経」を染筆して授与しますが、いただきにいらっしゃる方が増えました。

 除夜の鐘の音とともに歳が改まります。新たな年を、少しひんやりとした空気を感じながら、気の合う人と散歩気分でお参りされたらいかがでしょうか。ささやかな幸福が得られることでしょう。『本立寺』では開運勝利!の毘沙門天をお祀りしています。

  どうぞ、本年も当法人へのご賛助をお願いいたします。

 元旦より、皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

「Lotus News」 32号掲載

謹賀新年

春の始の御悦びを申し上げます。

 私にとりまして昨年は、生活上の大きな変化がありました。そのことは本紙上でも説明しましたが、延寿院に不在である時間が多くなったことへの対策は、最優先の事柄(電話や郵便・荷物の受取り、施設の管理)を実行し、その運用を含めて漸次様子をみながらも、少し楽観的に過ごしてきました。会社の人事異動でもあるように、その人がいなければ仕事が回らない、と思われていてもなんとかなることが多いように、自分を大樹にたとえるわけではありませんが、木が朽ち果てればそこから新たな芽が吹くことはあるはずです。直近の問題解決は大切なことですが、一方で長い時間軸で考えることも必要だと感じています。

 延寿院は創立300年、移転50年が経ち、寺の維持方法としての営繕積立金制度や「墓じまい」の風潮の中で、延寿院らしいお墓の維持法を作りました。お店ならば100年は「老舗」でしょうが、寺で300年はまだまだ、奈良には1400年の古刹があるますから、開店間もなくのつもりで社会の変化に目を向けてまいります。

 日蓮聖人がお亡くなりになっての750遠忌を13年後に迎えますが、今年の正月21日は日朗(にちろう)上人の700遠忌となります。私もそうですが、日蓮宗の僧侶は宗祖から「日」の字をいただき弟子となります。日朗とは高弟の一人で、737年前に宗祖が亡くなった後に、その教えを守り、残された僧侶を教育し信者を徳育し、寺としての基盤を整え、社会との融和に献身した方で、主に鎌倉を活躍の場にしました。日蓮聖人は師匠から蓮長という僧名をいただきましたが、後に自誓自戒して法華経の経文から「日」と「蓮」を選びとりました。そして、多くの弟子に「日」の字を与えました。日朗(にちろう)上人は若いときから宗祖のそばで修行をし生活を支え、佐渡へ流されたときにも遥々と鎌倉から訪ねています。それらのことから弟子中でも「師孝第一」「常随給仕」と称えられました。

 日蓮聖人は『開目抄』で「孝と申すは高なり 天高かれども孝よりは高からず 又孝とは厚なり 地あつけれども孝よりは厚からず」とお書きになり、「孝」を天よりも高く地よりも厚いと説かれました。日蓮聖人は死の床で六人の高弟を定め、その一人が日朗(にちろう)上人で、その日朗上人には九人の高弟があり、その流れが今の私に至るまで続き「日」の字をいただいています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」361号 掲載

新年を迎えるにあたり未来を考える

 春の始の御悦びを申し上げます

 さて、住職に就任して九ヶ月が経ち、大過なく過ごすことができています。「始めの一年は学び」として、寺に自分の身体を馴染ませることに専心しながら勤めてまいりましたが、そろそろ色を出さねばとムクムクもしてきました。

 新年です!就任一年目ですが、「未来を考えたい」。より正確に考えるためには、絶望的と思いながら世界や社会を凝視しなければなりません。ヘミングウェイの代表作の一つに『日はまた昇る(The sun also rises)』があり、百年ほど前の第一次世界大戦が終わったフランスやスペインをアメリカ人の視点で描いています。1914年7月に始まった戦争は1918年11月に終わり、その四年間に中世からの封建社会や制度(ベル・エポック=良き時代)は終止符を打たれ、ノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を強制する)は彼方へと吹き飛び、一般人が大量動員された上に、凄まじい兵器が使われ夥しい犠牲を産みました。更にその二十年後には第二次世界大戦となり、パックス・ブリタニカからパックス・アメリカーナとなり、現代は人間の持って生まれた動体視力では追いつけないほどの情報が飛び交う社会となりました。

 「ロスジェネ」とは、日本では就職氷河期に新卒(1993〜2005年)となった世代で、格差社会や貧困の体現者とされ、年齢では36歳〜48歳位の約2,000万人のことを言うようです。元祖の「ロストジェネレーション」は、第一次世界大戦の体験によって、宗教も道徳も人間的な精神も押し潰され希望を失い、絶望と虚無に落ち込んだアメリカの戦後作家に与えられた呼称でした。その一人のヘミングウェイは、「我々は単に打ちのめされた世代であって、失われた世代ではない。たとえ教育制度が一部において低下していたにせよ、実は極めて堅実な世代なのだ。」「一世代が過ぎ去っても、また次の世代が訪れる。大地は永遠に存在するのだ。」と述べています。

 私はよき未来を考えるにあたり、「大地は永遠」「教育の機会」「世代の記憶の継承」さえ失わなければ、「日はまた昇る」ことを信じています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせるよう、元旦より祈念してまいります。

「山風」77号 掲載