謹賀新年

春の始の御悦びを申し上げます。

 私にとりまして昨年は、生活上の大きな変化がありました。そのことは本紙上でも説明しましたが、延寿院に不在である時間が多くなったことへの対策は、最優先の事柄(電話や郵便・荷物の受取り、施設の管理)を実行し、その運用を含めて漸次様子をみながらも、少し楽観的に過ごしてきました。会社の人事異動でもあるように、その人がいなければ仕事が回らない、と思われていてもなんとかなることが多いように、自分を大樹にたとえるわけではありませんが、木が朽ち果てればそこから新たな芽が吹くことはあるはずです。直近の問題解決は大切なことですが、一方で長い時間軸で考えることも必要だと感じています。

 延寿院は創立300年、移転50年が経ち、寺の維持方法としての営繕積立金制度や「墓じまい」の風潮の中で、延寿院らしいお墓の維持法を作りました。お店ならば100年は「老舗」でしょうが、寺で300年はまだまだ、奈良には1400年の古刹があるますから、開店間もなくのつもりで社会の変化に目を向けてまいります。

 日蓮聖人がお亡くなりになっての750遠忌を13年後に迎えますが、今年の正月21日は日朗(にちろう)上人の700遠忌となります。私もそうですが、日蓮宗の僧侶は宗祖から「日」の字をいただき弟子となります。日朗とは高弟の一人で、737年前に宗祖が亡くなった後に、その教えを守り、残された僧侶を教育し信者を徳育し、寺としての基盤を整え、社会との融和に献身した方で、主に鎌倉を活躍の場にしました。日蓮聖人は師匠から蓮長という僧名をいただきましたが、後に自誓自戒して法華経の経文から「日」と「蓮」を選びとりました。そして、多くの弟子に「日」の字を与えました。日朗(にちろう)上人は若いときから宗祖のそばで修行をし生活を支え、佐渡へ流されたときにも遥々と鎌倉から訪ねています。それらのことから弟子中でも「師孝第一」「常随給仕」と称えられました。

 日蓮聖人は『開目抄』で「孝と申すは高なり 天高かれども孝よりは高からず 又孝とは厚なり 地あつけれども孝よりは厚からず」とお書きになり、「孝」を天よりも高く地よりも厚いと説かれました。日蓮聖人は死の床で六人の高弟を定め、その一人が日朗(にちろう)上人で、その日朗上人には九人の高弟があり、その流れが今の私に至るまで続き「日」の字をいただいています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」361号 掲載