人の輪を拡げて行きたい

人生とは「満ち足りること少なく、往々にして残酷で、通常は退屈で、ときどきは美しい」と言った人がいました。個人的にはそんな美しさを感じるためにNPOを運営しているのかもしれません。

 イデオロギーといった知識(先入観)から理解してしまうと、人と人は互いを見誤ってしまうし、互いの間に重層的にあるのかもしれない繋がりや歴史をなかったものとして判断をしかねません。大変なことが起きれば何とか自分だけには降り掛からないように避難するのは人情であるし、さらに、事の起こりを探る余りに何かのせいにし、非難の応酬ともなりかねません。

 日本のある団体が中国へマスクなどを送り、「国土は違えども 自然は共にある」といった意味の漢詩を添えたことが、両国において共感の輪を拡げたといいます。  私たちは意見が異る人たちも歓迎します。どのような縁にも感謝し、たった一つでも同じ美しさを感じられる人の輪を拡げていきたいと思っています。

季刊ロータス「LO+」23号掲載

車輪の下

 梅雨が例年より長く続いたせいか、蝉の鳴き声に勢いを感じません。八王子の最高気温は記録が更新され40度に迫る勢いで、この暑さにやられているのかもしれません。COVID19こそ暑さにやられてくれればいいのにと思ってしまいますが、そう上手くはいきませんし、そんなことを言える状況でもありません。昔の記録を見ると疫病の流行には加持祈祷を行っています。神が何かの理由によって悪神となり、僧侶の祈願によって目を醒まさせ、もとの善神と成すことを「退散」という表現を使ったようです。

 仏教では「四諦八正道」を基本とし、自身がどのようにして物事を見たり考え、そして行動すべきかを示してくれています。19世紀にプロイセン王国からドイツを帝国としてまとめた宰相ビスマルクは「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」と言われ、この言葉が現在にも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」と伝えられています。このことは成功から学ぶというよりも、失敗を振り返り記録し、失敗を恐れず被害を最小限にしていく、ということなのではないでしょうか。

 仏典は教えています。「物事は常に変化していることとして見なさい。」「あらゆる出来事には必ず原因があり、それは、欲望や執着によって起こる。」と。

  『ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。—車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。』(法句経)

 いつの間にか日は短くなり、夜になると虫の音が聞こえてくるようになりました。お彼岸を迎えます。お寺に安心してお参りください。

「山風」 84号 掲載

本立寺の新型コロナウイルス対応6(重要)

本立寺で生活をしている人全員がPCR検査を受け、その全員が「陰性」であったことと、その結果8/21〜9/3までが「健康観察期間」となりましたことは既にご報告いたしました。
 参考:本立寺の新型コロナウイルス対応5(8/22)

その期間にお受けしていたご法事はご相談の結果、3家は延期とさせていただき、3家は無参拝で行わせていただくこととなりました。また、期間中のご不幸には他寺にお任せし、ご葬儀を営ませていただきました。該当のお檀家には深いご理解をいただき感謝をいたします。また、今後このような事態になりましても同様のご迷惑をお掛けせずにすむよう、より一層の対処をしてまいります。

今後、
法要に際しましては、僧侶はマスク着用で儀式を営みます。
寺主催の行事は、感染予防の処置をした上で再開します。
各種受付は、通常通りにいたしますが飛沫感染をせぬよう配慮いたします。
業務中職員は適切な距離をとり、空気感染に留意し換気を心懸けます。また、共同生活をしていますので、特に食事には最大限の注意を払います。

今月は「秋のお彼岸(9/19〜25)」 皆様が安心してお寺に墓参にお越しいただけるよう、より一層の配慮をいたします。また、ご希望のお檀家さまには通常通りにご自宅に僧侶が訪問しご回向をいたします。

21世紀 1/5

 21世紀は既に20年目となりました。私は1967年生まれです。小学生の頃には時々SF(科学的空想)小説を好んで読んでいました。今から思えば世紀の終わりを意識したハルマゲドン(終末論)的な内容のものもありました。『鉄腕アトム』は私の世代ドンピシャではなく再放送ですが、『マジンガーZ』『宇宙戦艦ヤマト』『ガンダム』のように科学万能でかつ戦闘物を愉しんで見、プラモデルを作り遊びました。今でも放送している『笑点』『大相撲』『水戸黄門』や『ドリフ』『欽どこ』はお茶の間の定番で、その団欒は学校でも共有されました。昭和そのものだったのでしょう。

 私は幸いにもなのか、大勢の家族と僧侶とで暮らしてきました。ところが今の食卓は、なるべく同じ時間に食事を摂ることを避け、向い合せで食べるときにはアクリル板を立てています。当然、会話は極力少なくしますので、あっという間に終わります。科学万能な未来が、昭和を引きずっている者からすれば非人間的な生活となりました。東日本大震災による福島原子力発電所の重大事故や気候変動による災害多発によって明らかになった現象を、課題として俎上に載せ解決しなければ、さまざまな問題がこれからもあれこれと現出し続けることでしょう。これを対処療法で弥縫していくのでは追いつきません。

 「おひとり様」「独居老人」はまれな人を指す言葉ではなくなりました。同居人がいてもアクリル板で囲まれた生活をしなければならないのかもしれません。20世紀の終わりに「循環型社会推進基本法」が施行されています。それから20年が経ってしまっていることを、どう考えたらいいのでしょうか。延寿院を想い描いた21世紀のお寺に近づけていきたいと思っています。

「延寿」371号 掲載