NPO会報によせて

 5月1日より元号が「令和」となりました。二ヶ月が経ちますが、いまだに実感が湧きません。昭和64年のころは、私は学生で社会における経験が乏しく、知識として理解したのだと思われます。

 青年の一時期、近眼になり眼鏡をかけたことがありました。格好をつけてサングラスをかけていたこともあります。いつの間にか必要でなくなり、直射日光にも目を細めて立ち向かう術を身につけました。ところが、仕事でパソコンやスマホを見ることが増えたことや、さらには老いもあり、老眼鏡が必携になりました。子供のころ、大人が「天眼鏡」を使っていたのを思い出します(今なら「ハズキルーペ」ですね)。黒い茶人帽をかぶった「人相見」が行灯のある卓子を置き腰をかけ必ず持っていたのが天眼鏡です。ルーペを通して手相や人相を見てもらった人は、その言葉が不思議と一致して得心するのでしょう。天眼鏡はツールに過ぎませんが、確実に、人を診るという行為に信用を与えていました。

 もっとも診る人は自覚と本質を持っていなければいけません。つまり、その「気づき」が懺悔となり、祈りとなり、感謝となります。数百年数千年と続いてきたことにこそエッセンス(本質)があます。死も生の延長線(生きてきたままに死ぬということ)。そして継承していく、ということに大きな意味があるはずです。

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 皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

Lotus News掲載