五月一日に践祚なされ、元号が「令和」となりましたが実感はいまだに湧きません。昭和六十四年のころは、私は学生であって社会における体験が乏しく、知識として理解したのだと思われます。また、最近の私の生活に新聞やテレビが遠ざかり、パソコンを前にすることが増えたことも一因かもしれません。
青年の一時期、近眼になり眼鏡をかけたことがありました。いつの間にか必要でなくなり、数年に一度の運転免許更新の折の検査で、堂々と裸眼で勝負してみたらあっさりと通過し、増々不必要となりました。格好をつけてサングラスをかけていたこともありますが、オヤジになって直射日光にも目を細めて立ち向かう術を身につけました。ところが、パソコンには負け、老いにも負け、鼻先にかけるヤツが必携になりました。
子供のころ、大人が「虫めがね」(拡大鏡)を使っていたのが思い出されます(今なら「ハズキルーペ」ですね)。そういえば虫めがねとはあまり言わず、「天眼鏡を取ってくれ」との声が耳朶に残っています。昔は大きな駅の外に、黒い茶人帽をかぶった「人相見」が行灯のある卓子を置き腰をかけていたのをよく見かけました。その人が必ず持っていたのが天眼鏡です。手相や人相を見てもらった人は内心と一致して得心する方もあったのでしょう。
日蓮聖人は「仏眼」で見通しておられました。『松野殿御返事』と呼ばれるお手紙に、
魚の子は多けれども 魚となるは少し
菴羅樹の花は多く咲けども 果実となるは少なし
人もまたかくのごとし 菩提心を起こす人は多けれども
退せずしてまことの道に入る者は少し
とお述べになられました。更に言えば、成魚となって子をなすのは全てではないはずです。人でさえも自然の中では小さな存在であることを自覚せざるをえません。そのことに気づけたならば、懺悔となり、祈りとなり、感謝となるのです。数百年数千年と続いてきたことにこそエッセンス(本質)があるに違いありません。死も生の延長線(生きてきたままに死ぬということ)と思えるならば、日々あることの不思議を不思議とせず、感謝するようになります。日蓮聖人は法華経を体得する(五種法師)ことによって、仏の眼を得られましたが、私たち凡夫はご先祖の眼からこそ、大切な事が見えてくるのではないでしょうか。
間もなくお盆となります。いつものように先祖をお迎えください。
「山風」79号 掲載