NPO会報に寄せて

 私たちのNPOが管理運営を任されている樹木葬『東京里山墓苑』は、八王子市川口町延寿院にあり、檀家墓地の更に奥のまさに里山の中に立地しています。延寿院では2005年の春頃から計画が始まり、多摩産材を使った庫裡の建築が終わった後の2010年の秋にようやく墓苑を開設することが決まりました。何しろ都内初の試みでしたから、前例というものがありません。全てを自分たちで考え作り上げることができました。

 それから10年が経ち、「樹木葬」という言葉は割と一般化し多くの墓地ができました。しかしながら、循環型・持続可能な社会を目標としているという大きな理念、独自の多摩産の杉材で作った骨壷を使うということ、お骨が里山の自然に還り木々の栄養となることや、忘れられることなく僧侶による供養が続けられるというオリジナリティは全く色褪せることはありませんでした。

 10年前の大災害は「未曾有の」と表現され、津波から逃げることを「てんでんこ(展転劫)」と言います。これらは私がよく読むお経に出てきます。つまり、災害は昔から繰り返されているものの、数百年おきに起こる大災害の記憶の継承は難しかったのでしょう。だからこそ経文が使われているということは、被害を最小限にしたい、記憶を伝えたいという想いが「祈り」となったのでしょう。最期にいつまでも残るのは人々の「祈り」なのではないでしょうか。

 新たな10年に向けて、里山墓苑もNPOも、まずは会員の皆さまや地域に生活し活動する方々の声を聞き、ここを終の棲家とした人が本当によかった幸せだ、と思っていただけるよう邁進してまいります。                 

NPO法人 ロータスプロジェクト代表
及川一晋

「LotusNews」35号に掲載

出会う、ひびき合う

 かつては東京の水がめ「淀橋浄水場」があった柏木。今はそこに50階を超える高層ビルが何本も建ち、日本有数のビジネス街となった西新宿。そのすぐ周辺には日本最大の歓楽街歌舞伎町があり、様々な人種が行き交う大久保百人町があります。そんな雑多な街での活動を表現する媒体として、手から手へと渡すことができる冊子として、年4冊、通巻26冊を作ってきました。

 このことは誰かに会いたい。何かに会いたい。という欲求でもあり、誰にいつ会えるのか、という不安でもありました。人と人とは手が離れることもあれば、手を握りしめることもあるでしょうし、抱きしめ合うことも、笑うことも、涙することもあります。災害がある度に認識されてきた絆の大切さですが、今はどのように結んだらよいのかを問われています。私たちのNPOは歩みを止めません。誰かに会うことを信じ、会いたいと思っている人がいることを信じています。冬は寒く、春は麗らかです。春が来ない冬はない、と言われます。耐え忍ぶからこそ良いことがある、と理解されますが、冬には冬の良さがあり、春には春の良さがあります。それを如何に感じるかは自分次第とも言えますが、友があり、共に歓び合うことでの充実感や満足感はこれからも変わらないはずです。私たちはお伝えする方法を工夫し変えながら、今後も多くの共感の輪を作ってまいりたいと思っています。

「季刊ロータス」25号掲載

天神町「ひろばびらき」にあたって

 平成30年(2018)4月、本立寺住職に就任しました。生まれ育った寺ですから懐かしさ一入でしたが、記憶にある街と現在の姿には歴然とした差がありました。何しろ小売店が一つもありません。酒屋の田所さんや燃料店の鈴屋さんはありますが、スーパーの大黒屋さんや魚屋の大森貝屋さんはありません。子供に大人気だった駄菓子屋さんはいつまであったのでしょうか。

 お寺の実務に携わると、保育園の通園路のちょっと手前までが地所であることがわかり驚きました。語弊がありますが自分の土地を歩いて保育園に通っていたわけです。間もなくしてこの土地をご利用いただいていたH氏ご家族から相談がありました。ご事情があって土地を離れなければならない、とのことで1年以上話し合いが続きましたが方針は変わりませんでした。境内に隣接していませんし、何に使ったらよいだろうか?と役員会議にかけたところ、コインパーキングやアパートなどの具体案が出されました。

 お寺では多くの僧侶や信者さんと毎日お経を読んでいます。読みながらも私の頭にはアパートのことがぐるぐるとめぐります。ドラえもんに出てくる土管の映像が出てきました。私が子供のころの上野町は区画整理中で、新しく道ができたり家が建ったりと、一時的に出来た「空き地」は近所の子供たちが集まって遊ぶ場所となり、蓋がないドブも当たり前に道の脇にありました。そんな時にすっと天から降ってくるものがありました。「空き地にしよう」との仏さまのお導きです。それからはトントン拍子に進み、八王子市の公園課や資産税課、天神町の町会長直井さんや副町会長市川さんはお寺のお檀家さんでした。今回の造営を一から十までやってくれている「八王子冒険遊び場の会」の数馬田さんまでがお檀家さんでした。なんというご縁でしょう。

 私の子供の頃のような街は戻ってきません。今とこれからの子供たちにとって記憶に残る場所になってくれたらいいのだろうと願っています。

本立寺 住職 及川一晋

八百年事業について

 昨年(令和二年)の一月に「趣意書」を発送し、本立寺の「日蓮大聖人御降誕八百年記念事業」は始まりました。もちろん、その前から原案を作り、総代世話人と意見を交わし、意義を深めてもらい了承していただいた上でのことでした。今から思えば、その作業が少しでも遅れていたならば、まだ続く「コロナ禍」の影響をもっと強く受けたことでしょう。幸いにして多くのお檀家さんからのご芳志を頂戴し、寄附は目標を越え、「提灯」献灯者も三百と予定を遥かに超えました。

 しかしながら、中心事業である京都大本山妙顕寺様が格護する日蓮聖人御真骨の「出開帳」は延期にいたしました。ステイホームで不要不急のことの開催は自粛され、日常生活でも「黙食」が推奨されている状況下ではとても数百人が集うことはできません。住職だけではなく役員の総意であるとご理解ください。ただし、夢はまだまだ続き膨らんでいます。三月二十八日には、「冒険遊び場の会」の親や子どもたちと共に天神町の寺の所有地(約六十八坪)に造ってきた「ひろば」が開園し、新年度からは八王子初の「プレーパーク」を目指し、奥多摩から切ってきた杉材で造った「パーゴラ」「物見台」、地下水を汲み上げた「水場」「ビオトープ」で暑い夏には水遊びをし、昆虫観察もできます。地面は土を掘り放題、どろんこになって遊べます。近隣には五つの保育園や託児所があり、中には園庭を備えていない園もありますので、小さなお子さんにもたくさん利用してもらえます。寺の客殿二階を活用した地域の小学生(一〜三年生)を対象にした「学童施設」(八王子市「居場所事業」)を今年も継続できることになりました。お檀家さんの大学生への奨学金給付も続けます。昨年はほとんどの大学が自宅からのリモート授業でしたし、アルバイトも無くなって困窮した学生もいたのではないでしょうか。年額十万円を十二万円に増額して給付することにします(給付型)。

 これらのことはお檀家のご理解があってこそできることです。「八百年事業」を延期するということは継続するということでもあります。願わくば来春には全てのお檀家に参加をしていただき「日蓮聖人 八百歳」を祝いましょう。

「山風」 86号 掲載