法務は滞りなく継続いたします

7月19日、本立寺山務員が発熱によりPCR検査を受け、その結果、新型コロナウイルス陽性と判定されました。熱は19日中には下がっており、保健所の指示により自室で安静にしております。

保健所による詳細な聞き取り調査のあと、同棟に住む他の山務員3人が濃厚接触者と判定され20日に検査を提出し、本日全員陰性との結果を受け取りました。

陽性者はお盆中に接客や読経をしていますが、これらは感染予防を施しての行為であったため問題なしとの判断をいただきました。
PCR検査をした者(濃厚接触者)は陰性でしたが、8月1日までの健康観察期間中、接触をともなう業務を一切いたしません。

直ちに換気や消毒をした上で衛生管理を再確認し、法務を継続してまいりますが、しばらくのあいだ手薄になりますので、ご迷惑をかけることもあるかと思います。どうぞご寛恕ください。 本立寺住職

受け継ぐことの有難さ

 日本の仏教には多くの宗派があります。中国大陸や朝鮮半島を経由して六世紀に伝来し、その後も留学した僧侶や官吏によって仏典や仏像・仏具がもたらされ、朝廷のあった奈良平城京に納められました。そして、官寺や氏寺が造立され、東大寺に代表されるような教義による南都六宗が整えられていきました。しばらくすると、大陸で総合的に仏教を学んできた僧侶たち、特に伝教大師最澄による天台宗比叡山延暦寺や弘法大師空海による高野山金剛峯寺へと展開されていきました。

 仏教は教えの弘まる時期を「正・像・末」と区分し、十一世紀の末法の始めには浄土教が庶民の間にも拡がり、極楽往生が説かれました。度重なる自然災害や飢饉疫病は貧富や階級にもよらず、目の前の人が次々と倒れていく様は厭世的な気分を社会にもたらしました。叡山の座主は貴族の出自で占められていましたが、教えを求める僧侶が諸国より集まっていました。法然・栄西・道元など現代に続く宗教宗派の開祖はみなここで研鑽しました。日蓮宗の祖師である日蓮聖人もまた比叡山で修学し、寺門派園城寺や南都興福寺や高野山や聖徳太子の四天王寺にも学ばれたようです。そうした八宗兼学の中で、幼き頃から称えた念仏を捨て、法華経に説かれた菩薩行による成仏の教え、久遠釈迦牟尼世尊の現前を唱題によって確信することとなりました。このことは聖人滅後も弟子たちによって聖人がお書きになった「ご妙判」や法華経の色読を寄りどころとして、七四〇年を経た現代に多くの人々によって伝えられてきました。

 日本では様々な仏教宗派のベースに先祖供養が浸透しています。ところが危惧されるのは、その象徴である「お墓」「お仏壇」を負の遺産と考える人がいるとのことです。あらゆる事や物が換金されプラスやマイナスで評価される社会の成れの果てとはいえ、一千数百年来この方、先祖が数十代にわたって残してきてくれた事や物を、現在の価値観だけで判断してしまうのは勿体なくはないでしょうか。受け継げることや受け継ぐものがあることの有難さに気付けるようになりたいものです。 

 今月はお盆を迎えます。十三日~十六日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。

「延寿」376号 掲載

NPO会報によせて

「異体同心」(体は異なれども心を同じくする)という言葉があります。その反対は「同体異心」。血を分けた親兄弟といえども考え方や大切にするものが異なる、という意味です。時折後者の状況にある人から相談を受けることがあります。多くが「心」のところを互いに深く詰めて互いに話しをしないまま、「以心伝心」に分かってくれているはず、いざとなればやってくれるはず、と淡い「はず」を期待しているのではないかと感じます。特に、現代では情報量がとても多いので、親の側も子の側もきちんと伝えずとも、みんなこうみたいだからうちもこうな「はず」と思いこむことが誤解を生じる背景ともなっているようです。

 その「はず」が互いに確認もないままになんとかなるような社会は、多様性を認めるということではいいのでしょう。それで上手いこと進めばいいのですが、結局人は一人では生きていけませんし、子孫に思いを伝承していけません。よくある、必要なお金ならあるからなんとかなるはずでは、その「はず」は「金の切れ目が縁の切れ目」となってしまう場合もあります。裏を返せばそんなことでは切れない縁が「異体同心」ということなのです。

 私たちのNPOにとって「心」を聞くとはどんなことでしょうか?里山墓苑の終の棲家に選んだ人から様々なお話をお聞きします。大切な人のご遺骨をお預かりし時間をかけてパウダーにします。墓苑の区画内に丁寧に穴を掘ります。僧侶としてはお経をあげます。毎日のようにお掃除をします。ひとつひとつから目を背けず、繰り返し繰り返し行うことで同じ心になれるようです。私の心は満たされていきます。

NPO法人 ロータスプロジェクト代表
及川一晋

「LotusNews」36号に掲載

住職を「御前さま」と呼ぶ寺

 今から百年以上前に執筆された夏目漱石の『吾輩は猫である』には「人間とは天空海闊な世界を、我からと縮めて己の立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬ様に、小刀細工で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない」とあります。

 私は寺の内では「御前(ごぜん)さん」と呼ばれています。私がというよりはこの寺ではいつの頃からか住職のことをそう呼んでいます。私が初めてお仕えしたのが新宿常円寺で、そこでも当然のように皆さんがそう呼んでいましたので、そういうものなんだと思い込んでいました。それから少し他所の寺とのお付合いをするようになると、全ての住職がそう呼ばれる訳ではなく、むしろ少数派なことに気付きました。一般的には「方丈さん」や「和尚さん」でしょうし、日蓮宗では僧侶を信者さんは「お上人」と呼んでいます。「御前会議」「御前試合」などは天皇陛下を前にしたことですから「御前」は高い敬称に違いありません。もっと格式の高い寺では「法主(ほっす)さま」「山主(さんしゅ)さま」と呼ぶようです。同じ漢字でも読み方を「おまえさん」とすれば随分と雰囲気が変わります。私の前に住職であった方々はどのように思ってこられたのでしょうか。

 映画『寅さん』に出てくる柴又帝釈天は実際にある日蓮宗の題経寺のことで、住職役の笠智衆は渥美清が演じる寅さんや門前町の人から「御前さま」と呼ばれています。本立寺住職が寺の中だけでもお檀家さんからも、「御前さん」と呼ばれてきたことはとても素晴らしいことですが、欲を言えば柴又のように、上野町・寺町・天神町・万町など周辺にお住まいの方からもそのように呼ばれたいものです。それは私の住職としての振舞いにもよりますし、町の人にとってどのように思っていただける寺であるかによるのだと思います。

 人間は生まれ持った才覚の中で活かされれば良いのですが、役割を自らが規定し安住を求めてしまいがちです。私も『御前さま』という敬称がどこか古めかしい封建的な身分なのだということを自覚しつつ、今までも社会的活動の中で呼ばれてきた『一晋(いっしん)さん』とも呼んでいただけるように励んでまいります。

「山風」 87号 掲載