日本の仏教には多くの宗派があります。中国大陸や朝鮮半島を経由して六世紀に伝来し、その後も留学した僧侶や官吏によって仏典や仏像・仏具がもたらされ、朝廷のあった奈良平城京に納められました。そして、官寺や氏寺が造立され、東大寺に代表されるような教義による南都六宗が整えられていきました。しばらくすると、大陸で総合的に仏教を学んできた僧侶たち、特に伝教大師最澄による天台宗比叡山延暦寺や弘法大師空海による高野山金剛峯寺へと展開されていきました。
仏教は教えの弘まる時期を「正・像・末」と区分し、十一世紀の末法の始めには浄土教が庶民の間にも拡がり、極楽往生が説かれました。度重なる自然災害や飢饉疫病は貧富や階級にもよらず、目の前の人が次々と倒れていく様は厭世的な気分を社会にもたらしました。叡山の座主は貴族の出自で占められていましたが、教えを求める僧侶が諸国より集まっていました。法然・栄西・道元など現代に続く宗教宗派の開祖はみなここで研鑽しました。日蓮宗の祖師である日蓮聖人もまた比叡山で修学し、寺門派園城寺や南都興福寺や高野山や聖徳太子の四天王寺にも学ばれたようです。そうした八宗兼学の中で、幼き頃から称えた念仏を捨て、法華経に説かれた菩薩行による成仏の教え、久遠釈迦牟尼世尊の現前を唱題によって確信することとなりました。このことは聖人滅後も弟子たちによって聖人がお書きになった「ご妙判」や法華経の色読を寄りどころとして、七四〇年を経た現代に多くの人々によって伝えられてきました。
日本では様々な仏教宗派のベースに先祖供養が浸透しています。ところが危惧されるのは、その象徴である「お墓」「お仏壇」を負の遺産と考える人がいるとのことです。あらゆる事や物が換金されプラスやマイナスで評価される社会の成れの果てとはいえ、一千数百年来この方、先祖が数十代にわたって残してきてくれた事や物を、現在の価値観だけで判断してしまうのは勿体なくはないでしょうか。受け継げることや受け継ぐものがあることの有難さに気付けるようになりたいものです。
今月はお盆を迎えます。十三日~十六日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。
「延寿」376号 掲載