住職を「御前さま」と呼ぶ寺

 今から百年以上前に執筆された夏目漱石の『吾輩は猫である』には「人間とは天空海闊な世界を、我からと縮めて己の立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬ様に、小刀細工で自分の領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ない」とあります。

 私は寺の内では「御前(ごぜん)さん」と呼ばれています。私がというよりはこの寺ではいつの頃からか住職のことをそう呼んでいます。私が初めてお仕えしたのが新宿常円寺で、そこでも当然のように皆さんがそう呼んでいましたので、そういうものなんだと思い込んでいました。それから少し他所の寺とのお付合いをするようになると、全ての住職がそう呼ばれる訳ではなく、むしろ少数派なことに気付きました。一般的には「方丈さん」や「和尚さん」でしょうし、日蓮宗では僧侶を信者さんは「お上人」と呼んでいます。「御前会議」「御前試合」などは天皇陛下を前にしたことですから「御前」は高い敬称に違いありません。もっと格式の高い寺では「法主(ほっす)さま」「山主(さんしゅ)さま」と呼ぶようです。同じ漢字でも読み方を「おまえさん」とすれば随分と雰囲気が変わります。私の前に住職であった方々はどのように思ってこられたのでしょうか。

 映画『寅さん』に出てくる柴又帝釈天は実際にある日蓮宗の題経寺のことで、住職役の笠智衆は渥美清が演じる寅さんや門前町の人から「御前さま」と呼ばれています。本立寺住職が寺の中だけでもお檀家さんからも、「御前さん」と呼ばれてきたことはとても素晴らしいことですが、欲を言えば柴又のように、上野町・寺町・天神町・万町など周辺にお住まいの方からもそのように呼ばれたいものです。それは私の住職としての振舞いにもよりますし、町の人にとってどのように思っていただける寺であるかによるのだと思います。

 人間は生まれ持った才覚の中で活かされれば良いのですが、役割を自らが規定し安住を求めてしまいがちです。私も『御前さま』という敬称がどこか古めかしい封建的な身分なのだということを自覚しつつ、今までも社会的活動の中で呼ばれてきた『一晋(いっしん)さん』とも呼んでいただけるように励んでまいります。

「山風」 87号 掲載