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令和元年七福神めぐりは5月1日から

5月1日から元号が平成から令和に変わります。例年、八王子七福神めぐりはお正月と決まっていますが、来年のお正月は令和2年。令和元年は改元から年末までですから、令和元年の色紙はもう手に入らないことになります。

そこでこの度、新しい時代のスタートを祝し、「新元号『令和』記念 八王子七福神めぐり」を特別開催します。この機会にぜひご参加ください。

追記:おかげさまで多数の参加をいただき、特別色紙は終了しました。通常の色紙はお求めいただけます。(5月吉日)

  • 受付期間:2019年(令和元年)5月1日より 色紙一千枚終了まで
  • 受付時間:午前9時~午後4時半
  • 特別色紙 500円  色紙御朱印 各寺200円

この色紙は通常の色紙と同じく、1枚と数えて7枚集めると記念色紙を差し上げます。

七福神めぐりの地図や御朱印については「七福神めぐり」のページをご覧ください。

桜のライトアップが始まりました→終了しました

追記:

本立寺の桜も散り始め
若葉の緑があざやかです。

「平成最後の」と始めた「ライトアップ」を終了します。
2019年4月18日追記

午後9時まで開門しております
今が見ごろの花盛りです

日本工学院八王子専門学校のご協力を得て、桜のライトアップが始まりました。平成最後の桜をお楽しみください。午後9時まで開門しています。

人生足離別

 作家井伏鱒二は処女作『山椒魚』を「山椒魚は悲しんだ。」の書き出しで物語を紡ぎました。『山椒魚』は大正十二年(一九二三)に『幽閉』と題して発表され、後に改作改題された、わずか十頁の短編であります。幽閉からわかるように、その棲家である岩屋での二年の間の成育によって、そこから外界に全く出れなくなってしまった!という設定で、「何たる失策であることか」との弁でその理由を説明してありますが、その間「何をしていたの?」という疑問が湧いてこないのは、この物語の「妙」とも言えましょう。本人(山椒魚)は、自虐的であるのかまたは現実逃避のように、小さく狭い場所にいるからこそ、外をよく見ることができるのだと満足(?)をもしています。そして、群で泳ぐ目高を見ては、「なんという不自由千万な奴らであろう」とまでほざき、さらに、たまたま産卵のためにその岩屋に紛れ込んできた、小さな蝦に対しては”得意げに“「くったくしたり物思いに耽ったりするやつは莫迦だよ」とまで言い放ちました。物語はここから展開を見せはじめ、なんとか脱出をこころみるものの…………..

 私の学生時代はバブル経済のまっ只中で、大学受験は戦争と言われました。従って、四年間は社会の歯車になる前のモラトリアム(大人への猶予期間)として許容されていたように思います。本立寺において修行をしていた者の名簿が残っています。昭和三十年以降だけでも四十人以上にのぼり、短い者は数ヶ月、長い者では十年以上在籍し、五反田にある立正大学へ通学をしながら寄宿生活をしていました。千差万別ではありますが、寺は件の岩屋のようであり、また、川の流れで言えば“淀み”のような場所となってきたのではないでしょうか?ただし、本立寺の岩屋は出入り自由であり、意地悪でもなく淀みに例えるならば時として急流となることもありえました。井伏氏に漢詩の翻訳があります。

  勧君金屈は 満酌不須辞
  花発多風雨 人生足離別
  コノサカヅキヲ 受ケテクレ ドウゾ ナミナミツガシテオクレ
  ハナニアラシノタトへモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 今春には岩屋を二人が卒業し、新たに二人の希望を懐いた若者を迎えます。宿主としては狷介固陋とならず、寒山拾得のようにゲラゲラと笑い合うような、自由闊達な旗をたなびかせていこうと思っています。

「山風」78号 掲載

里山保全活動

 今冬は本格的な雪が降らないままに、春を迎えそうです。昨年からお寺に住んでんでいないので、正確ではありませんが、境内を薄っすらとでも白く染めたのは一度きりで、雪かきの手間はかかりませんでした。境内が白い絨毯となるのは、ひんやりとした空気をともなって鮮烈な気持ちを臓腑のすみずみまでもたらすようです。雪の日の犬との山歩きもいいものだったと、懐かしく思い出します。

 さて、住職となって寺に住むようになって以来、暇を見つけては隣地など周囲の雑木林に鬱蒼とある笹の刈込みを勝手にやり、七年前にNPO法人を設立してからは月に一回のペースで数人の同士とともに「里山保全活動」と称して、更に範囲を拡げ裏山の林道沿いをきれいにしてきました。笹や竹に埋もれていた山桜の大木や「古墳」とも「狼煙台」とも比定されている小山が、裾野まで姿を現すようになりました。地面に光が差し込むようになったからか、ツツジがたくさんの花を咲かせるようになり、春には隠れた名所のようです。どこまで人が手を差し伸べていいのかな、とも思いますが、自然と人界との間にあるのが里山なのだから、恩恵を授かるのに適度なバランスを見つけながら、更に延寿院の良さにも結びつけていきたいものだと考えています。どうかお檀家の皆様も保全活動にご参加ください。楽しいですよ。

 次回の里山保全活動

 三月二十八日(木)十時~十二時まで

「延寿」362号掲載

NPO会報によせて

 皆さま 明けましておめでとうございます。

 私たちのNPOの活動は、主として八王子延寿院での里山保全活動などと、新宿常円寺での、街と人とお寺を結びつける活動をしてきました。

 私が住職をするお寺が昨年からまた一つ増えました。JR八王子駅南口から西の方角に10分ほど歩いたところにあるお寺で、「長光山 本立寺(ほんりゅうじ)」と言います。八王子では30年以上も前から『七福神めぐり』がさかんに行われてきました。特徴はお参りする先に神社はなく、すべてお寺であるということと、八王子の「八」にちなんでなのか、神さまも8人(七福神=毘沙門天・恵比寿天・福禄寿・布袋尊・大黒天・弁財天・寿老尊+吉祥天)で8ヶ所をめぐります。所定の「色紙」に判子を押してもらいながら、2時間30分のアップダウンの少ない行程ということもあって、年々参加者は増える一方で、1/1〜10の期間中に1万人以上がお参りにいらっしゃいます。この数年は『お朱印』もブーム。日蓮宗のお寺では別に『御首題(ごしゅだい)』という「南無妙法蓮華経」を染筆して授与しますが、いただきにいらっしゃる方が増えました。

 除夜の鐘の音とともに歳が改まります。新たな年を、少しひんやりとした空気を感じながら、気の合う人と散歩気分でお参りされたらいかがでしょうか。ささやかな幸福が得られることでしょう。『本立寺』では開運勝利!の毘沙門天をお祀りしています。

  どうぞ、本年も当法人へのご賛助をお願いいたします。

 元旦より、皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

「Lotus News」 32号掲載

謹賀新年

春の始の御悦びを申し上げます。

 私にとりまして昨年は、生活上の大きな変化がありました。そのことは本紙上でも説明しましたが、延寿院に不在である時間が多くなったことへの対策は、最優先の事柄(電話や郵便・荷物の受取り、施設の管理)を実行し、その運用を含めて漸次様子をみながらも、少し楽観的に過ごしてきました。会社の人事異動でもあるように、その人がいなければ仕事が回らない、と思われていてもなんとかなることが多いように、自分を大樹にたとえるわけではありませんが、木が朽ち果てればそこから新たな芽が吹くことはあるはずです。直近の問題解決は大切なことですが、一方で長い時間軸で考えることも必要だと感じています。

 延寿院は創立300年、移転50年が経ち、寺の維持方法としての営繕積立金制度や「墓じまい」の風潮の中で、延寿院らしいお墓の維持法を作りました。お店ならば100年は「老舗」でしょうが、寺で300年はまだまだ、奈良には1400年の古刹があるますから、開店間もなくのつもりで社会の変化に目を向けてまいります。

 日蓮聖人がお亡くなりになっての750遠忌を13年後に迎えますが、今年の正月21日は日朗(にちろう)上人の700遠忌となります。私もそうですが、日蓮宗の僧侶は宗祖から「日」の字をいただき弟子となります。日朗とは高弟の一人で、737年前に宗祖が亡くなった後に、その教えを守り、残された僧侶を教育し信者を徳育し、寺としての基盤を整え、社会との融和に献身した方で、主に鎌倉を活躍の場にしました。日蓮聖人は師匠から蓮長という僧名をいただきましたが、後に自誓自戒して法華経の経文から「日」と「蓮」を選びとりました。そして、多くの弟子に「日」の字を与えました。日朗(にちろう)上人は若いときから宗祖のそばで修行をし生活を支え、佐渡へ流されたときにも遥々と鎌倉から訪ねています。それらのことから弟子中でも「師孝第一」「常随給仕」と称えられました。

 日蓮聖人は『開目抄』で「孝と申すは高なり 天高かれども孝よりは高からず 又孝とは厚なり 地あつけれども孝よりは厚からず」とお書きになり、「孝」を天よりも高く地よりも厚いと説かれました。日蓮聖人は死の床で六人の高弟を定め、その一人が日朗(にちろう)上人で、その日朗上人には九人の高弟があり、その流れが今の私に至るまで続き「日」の字をいただいています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」361号 掲載

新年を迎えるにあたり未来を考える

 春の始の御悦びを申し上げます

 さて、住職に就任して九ヶ月が経ち、大過なく過ごすことができています。「始めの一年は学び」として、寺に自分の身体を馴染ませることに専心しながら勤めてまいりましたが、そろそろ色を出さねばとムクムクもしてきました。

 新年です!就任一年目ですが、「未来を考えたい」。より正確に考えるためには、絶望的と思いながら世界や社会を凝視しなければなりません。ヘミングウェイの代表作の一つに『日はまた昇る(The sun also rises)』があり、百年ほど前の第一次世界大戦が終わったフランスやスペインをアメリカ人の視点で描いています。1914年7月に始まった戦争は1918年11月に終わり、その四年間に中世からの封建社会や制度(ベル・エポック=良き時代)は終止符を打たれ、ノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を強制する)は彼方へと吹き飛び、一般人が大量動員された上に、凄まじい兵器が使われ夥しい犠牲を産みました。更にその二十年後には第二次世界大戦となり、パックス・ブリタニカからパックス・アメリカーナとなり、現代は人間の持って生まれた動体視力では追いつけないほどの情報が飛び交う社会となりました。

 「ロスジェネ」とは、日本では就職氷河期に新卒(1993〜2005年)となった世代で、格差社会や貧困の体現者とされ、年齢では36歳〜48歳位の約2,000万人のことを言うようです。元祖の「ロストジェネレーション」は、第一次世界大戦の体験によって、宗教も道徳も人間的な精神も押し潰され希望を失い、絶望と虚無に落ち込んだアメリカの戦後作家に与えられた呼称でした。その一人のヘミングウェイは、「我々は単に打ちのめされた世代であって、失われた世代ではない。たとえ教育制度が一部において低下していたにせよ、実は極めて堅実な世代なのだ。」「一世代が過ぎ去っても、また次の世代が訪れる。大地は永遠に存在するのだ。」と述べています。

 私はよき未来を考えるにあたり、「大地は永遠」「教育の機会」「世代の記憶の継承」さえ失わなければ、「日はまた昇る」ことを信じています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせるよう、元旦より祈念してまいります。

「山風」77号 掲載

360号

 本紙『延寿』が今号で360号となりました。隔月で年六回発行なので、60年続けたことになります。

 創刊した昭和三十三年はお寺はまだ文京区小石川指ヶ谷町にあり、墓地は寺とは離れた場所で雑司ヶ谷法明寺墓地の一角をお借りしていました。戦時中に強制的に引き倒しにあった堂舎を旧地に再建することができた時期なのかもしれません。先代住職である寺井明道上人も三十歳頃と若く、都庁に勤めながら家族を持ち、将来に多くのそして大きな夢をお持ちだったのではないだろうか、と推察します。街並みが整備され、東京タワーが背を伸ばし、数年後には東京オリンピックが開催されるんだと高速道路や霞が関ビが建てられ、「東洋一」という言葉がよく使われたのではないでしょうか。そして新幹線は世界一の高速鉄道となり、戦前の「つばめ」からは大きな飛躍と感じられたでしょう。一方で空は次第に狭くなり煙で覆われ、光化学スモッグや車両からの排気ガスによる喘息など、現代病が拡がりました。

 人間で六十年と言えば還暦。干支が一巡したことになります。延寿院は墓地とともに郊外・八王子に移転し、はや五十一年が経ちます。振り返ることはたやすい事ですし、未来に思いを巡らすことも楽しいことですが、私たちは何をして来たのでしょうか。何を残して来たのでしょうか。数百年先の人たちが土を掘り、この地代の地層はゴミしか出ないね、ということにならないように、他人任せにせず、丁寧に責任を持った生き方が一人ひとりに求められています。

 私は春から一つ役職が減り三つ増えました。さぞや忙しいでしょうね、と言われますが、そんなこともありません。ほとんどが今まで行ってきた仕事の経験が役立っています。それはやらされた仕事がなく、全て自分が作ってきた仕事であったからだと感じています。八王子での仕事の量が増えましたので、一層皆様方にご満足いただけるよう努めてまります。

 これから冬本番を迎えます。どうぞご自愛ください。

「延寿」360号 掲載

NPO会報によせて

 今夏は大変な暑さで、よく救急車のサイレンの音が聞こえていました。その酷暑に終わりを告げたのが台風21号で、その翌日には北海道胆振東部地震が発生したのは、何かの因縁なのでしょうか?

 9月10日には4月から住職に就任した本立寺の住職交代式を行いました。当NPOの母体である延寿院のお檀家さんが入山行列をともにしていただき、大変に勇気づけられました。本立寺は檀家が900軒(その内で八王子市内在住者は80%で地元密着型)、創立から450年と歴史が古く、寺で修行をしている僧侶は5人、毎日ではなくとも掃除をしてくれる人が3人いて、地方都市の日蓮宗寺院では規模の大きな寺となります。毎月3回の信行会(参加者20~40人)、月1回の写経会(10人位)、月2回のヨガ教室(5人位)を行い、年4回檀家の自宅に伺ってお経をあげ、年4回会報を作っています。

 「因縁果報」「因果応報」という仏語がありますが、物事には原因・結果・報いがあって、「・」が狭義の縁で、広義には過去・未来も包摂して縁ともいえます。台風や地震はもちろん天災です。たまたま大阪を通過した。たまたま北海道で揺れただけなのかもしれません。

 交代式で400人の参列者をお迎えするために、その当日も境内を掃いていると、曼珠沙華が地面から茎を伸ばしているのを見つけました。一本見つかると、ここかしこにもう伸びていることに気が付きます。この数年お彼岸(今年は20日から)の10日前から咲くようになりました。人の生活が、自然に過度な影響を与えてきた結果なのではないでしょうか?地震によって電気が止まりました。自然災害の中にも人災はありませんか?

 四つの寺の住職をし、公益財団法人事務所長、当NPO法人代表など、私が関与している団体・人々が、宿縁によって「シンク」「ループ」「ワーク」するように、益々働きかけてまいります。どうぞ関心をお寄せいただきご賛助ください。

「Lotus News」 31号掲載