人生足離別

 作家井伏鱒二は処女作『山椒魚』を「山椒魚は悲しんだ。」の書き出しで物語を紡ぎました。『山椒魚』は大正十二年(一九二三)に『幽閉』と題して発表され、後に改作改題された、わずか十頁の短編であります。幽閉からわかるように、その棲家である岩屋での二年の間の成育によって、そこから外界に全く出れなくなってしまった!という設定で、「何たる失策であることか」との弁でその理由を説明してありますが、その間「何をしていたの?」という疑問が湧いてこないのは、この物語の「妙」とも言えましょう。本人(山椒魚)は、自虐的であるのかまたは現実逃避のように、小さく狭い場所にいるからこそ、外をよく見ることができるのだと満足(?)をもしています。そして、群で泳ぐ目高を見ては、「なんという不自由千万な奴らであろう」とまでほざき、さらに、たまたま産卵のためにその岩屋に紛れ込んできた、小さな蝦に対しては”得意げに“「くったくしたり物思いに耽ったりするやつは莫迦だよ」とまで言い放ちました。物語はここから展開を見せはじめ、なんとか脱出をこころみるものの…………..

 私の学生時代はバブル経済のまっ只中で、大学受験は戦争と言われました。従って、四年間は社会の歯車になる前のモラトリアム(大人への猶予期間)として許容されていたように思います。本立寺において修行をしていた者の名簿が残っています。昭和三十年以降だけでも四十人以上にのぼり、短い者は数ヶ月、長い者では十年以上在籍し、五反田にある立正大学へ通学をしながら寄宿生活をしていました。千差万別ではありますが、寺は件の岩屋のようであり、また、川の流れで言えば“淀み”のような場所となってきたのではないでしょうか?ただし、本立寺の岩屋は出入り自由であり、意地悪でもなく淀みに例えるならば時として急流となることもありえました。井伏氏に漢詩の翻訳があります。

  勧君金屈は 満酌不須辞
  花発多風雨 人生足離別
  コノサカヅキヲ 受ケテクレ ドウゾ ナミナミツガシテオクレ
  ハナニアラシノタトへモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 今春には岩屋を二人が卒業し、新たに二人の希望を懐いた若者を迎えます。宿主としては狷介固陋とならず、寒山拾得のようにゲラゲラと笑い合うような、自由闊達な旗をたなびかせていこうと思っています。

「山風」78号 掲載