「住職の雑感」カテゴリーアーカイブ

里山保全活動

 今冬は本格的な雪が降らないままに、春を迎えそうです。昨年からお寺に住んでんでいないので、正確ではありませんが、境内を薄っすらとでも白く染めたのは一度きりで、雪かきの手間はかかりませんでした。境内が白い絨毯となるのは、ひんやりとした空気をともなって鮮烈な気持ちを臓腑のすみずみまでもたらすようです。雪の日の犬との山歩きもいいものだったと、懐かしく思い出します。

 さて、住職となって寺に住むようになって以来、暇を見つけては隣地など周囲の雑木林に鬱蒼とある笹の刈込みを勝手にやり、七年前にNPO法人を設立してからは月に一回のペースで数人の同士とともに「里山保全活動」と称して、更に範囲を拡げ裏山の林道沿いをきれいにしてきました。笹や竹に埋もれていた山桜の大木や「古墳」とも「狼煙台」とも比定されている小山が、裾野まで姿を現すようになりました。地面に光が差し込むようになったからか、ツツジがたくさんの花を咲かせるようになり、春には隠れた名所のようです。どこまで人が手を差し伸べていいのかな、とも思いますが、自然と人界との間にあるのが里山なのだから、恩恵を授かるのに適度なバランスを見つけながら、更に延寿院の良さにも結びつけていきたいものだと考えています。どうかお檀家の皆様も保全活動にご参加ください。楽しいですよ。

 次回の里山保全活動

 三月二十八日(木)十時~十二時まで

「延寿」362号掲載

NPO会報によせて

 皆さま 明けましておめでとうございます。

 私たちのNPOの活動は、主として八王子延寿院での里山保全活動などと、新宿常円寺での、街と人とお寺を結びつける活動をしてきました。

 私が住職をするお寺が昨年からまた一つ増えました。JR八王子駅南口から西の方角に10分ほど歩いたところにあるお寺で、「長光山 本立寺(ほんりゅうじ)」と言います。八王子では30年以上も前から『七福神めぐり』がさかんに行われてきました。特徴はお参りする先に神社はなく、すべてお寺であるということと、八王子の「八」にちなんでなのか、神さまも8人(七福神=毘沙門天・恵比寿天・福禄寿・布袋尊・大黒天・弁財天・寿老尊+吉祥天)で8ヶ所をめぐります。所定の「色紙」に判子を押してもらいながら、2時間30分のアップダウンの少ない行程ということもあって、年々参加者は増える一方で、1/1〜10の期間中に1万人以上がお参りにいらっしゃいます。この数年は『お朱印』もブーム。日蓮宗のお寺では別に『御首題(ごしゅだい)』という「南無妙法蓮華経」を染筆して授与しますが、いただきにいらっしゃる方が増えました。

 除夜の鐘の音とともに歳が改まります。新たな年を、少しひんやりとした空気を感じながら、気の合う人と散歩気分でお参りされたらいかがでしょうか。ささやかな幸福が得られることでしょう。『本立寺』では開運勝利!の毘沙門天をお祀りしています。

  どうぞ、本年も当法人へのご賛助をお願いいたします。

 元旦より、皆さまのご健勝・無事息災を祈念しています。

「Lotus News」 32号掲載

謹賀新年

春の始の御悦びを申し上げます。

 私にとりまして昨年は、生活上の大きな変化がありました。そのことは本紙上でも説明しましたが、延寿院に不在である時間が多くなったことへの対策は、最優先の事柄(電話や郵便・荷物の受取り、施設の管理)を実行し、その運用を含めて漸次様子をみながらも、少し楽観的に過ごしてきました。会社の人事異動でもあるように、その人がいなければ仕事が回らない、と思われていてもなんとかなることが多いように、自分を大樹にたとえるわけではありませんが、木が朽ち果てればそこから新たな芽が吹くことはあるはずです。直近の問題解決は大切なことですが、一方で長い時間軸で考えることも必要だと感じています。

 延寿院は創立300年、移転50年が経ち、寺の維持方法としての営繕積立金制度や「墓じまい」の風潮の中で、延寿院らしいお墓の維持法を作りました。お店ならば100年は「老舗」でしょうが、寺で300年はまだまだ、奈良には1400年の古刹があるますから、開店間もなくのつもりで社会の変化に目を向けてまいります。

 日蓮聖人がお亡くなりになっての750遠忌を13年後に迎えますが、今年の正月21日は日朗(にちろう)上人の700遠忌となります。私もそうですが、日蓮宗の僧侶は宗祖から「日」の字をいただき弟子となります。日朗とは高弟の一人で、737年前に宗祖が亡くなった後に、その教えを守り、残された僧侶を教育し信者を徳育し、寺としての基盤を整え、社会との融和に献身した方で、主に鎌倉を活躍の場にしました。日蓮聖人は師匠から蓮長という僧名をいただきましたが、後に自誓自戒して法華経の経文から「日」と「蓮」を選びとりました。そして、多くの弟子に「日」の字を与えました。日朗(にちろう)上人は若いときから宗祖のそばで修行をし生活を支え、佐渡へ流されたときにも遥々と鎌倉から訪ねています。それらのことから弟子中でも「師孝第一」「常随給仕」と称えられました。

 日蓮聖人は『開目抄』で「孝と申すは高なり 天高かれども孝よりは高からず 又孝とは厚なり 地あつけれども孝よりは厚からず」とお書きになり、「孝」を天よりも高く地よりも厚いと説かれました。日蓮聖人は死の床で六人の高弟を定め、その一人が日朗(にちろう)上人で、その日朗上人には九人の高弟があり、その流れが今の私に至るまで続き「日」の字をいただいています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせますよう、元旦より祈念しております。

「延寿」361号 掲載

新年を迎えるにあたり未来を考える

 春の始の御悦びを申し上げます

 さて、住職に就任して九ヶ月が経ち、大過なく過ごすことができています。「始めの一年は学び」として、寺に自分の身体を馴染ませることに専心しながら勤めてまいりましたが、そろそろ色を出さねばとムクムクもしてきました。

 新年です!就任一年目ですが、「未来を考えたい」。より正確に考えるためには、絶望的と思いながら世界や社会を凝視しなければなりません。ヘミングウェイの代表作の一つに『日はまた昇る(The sun also rises)』があり、百年ほど前の第一次世界大戦が終わったフランスやスペインをアメリカ人の視点で描いています。1914年7月に始まった戦争は1918年11月に終わり、その四年間に中世からの封建社会や制度(ベル・エポック=良き時代)は終止符を打たれ、ノブレス・オブリージュ(高貴さは義務を強制する)は彼方へと吹き飛び、一般人が大量動員された上に、凄まじい兵器が使われ夥しい犠牲を産みました。更にその二十年後には第二次世界大戦となり、パックス・ブリタニカからパックス・アメリカーナとなり、現代は人間の持って生まれた動体視力では追いつけないほどの情報が飛び交う社会となりました。

 「ロスジェネ」とは、日本では就職氷河期に新卒(1993〜2005年)となった世代で、格差社会や貧困の体現者とされ、年齢では36歳〜48歳位の約2,000万人のことを言うようです。元祖の「ロストジェネレーション」は、第一次世界大戦の体験によって、宗教も道徳も人間的な精神も押し潰され希望を失い、絶望と虚無に落ち込んだアメリカの戦後作家に与えられた呼称でした。その一人のヘミングウェイは、「我々は単に打ちのめされた世代であって、失われた世代ではない。たとえ教育制度が一部において低下していたにせよ、実は極めて堅実な世代なのだ。」「一世代が過ぎ去っても、また次の世代が訪れる。大地は永遠に存在するのだ。」と述べています。

 私はよき未来を考えるにあたり、「大地は永遠」「教育の機会」「世代の記憶の継承」さえ失わなければ、「日はまた昇る」ことを信じています。

 皆様が心穏やかに本年一年を過ごせるよう、元旦より祈念してまいります。

「山風」77号 掲載

360号

 本紙『延寿』が今号で360号となりました。隔月で年六回発行なので、60年続けたことになります。

 創刊した昭和三十三年はお寺はまだ文京区小石川指ヶ谷町にあり、墓地は寺とは離れた場所で雑司ヶ谷法明寺墓地の一角をお借りしていました。戦時中に強制的に引き倒しにあった堂舎を旧地に再建することができた時期なのかもしれません。先代住職である寺井明道上人も三十歳頃と若く、都庁に勤めながら家族を持ち、将来に多くのそして大きな夢をお持ちだったのではないだろうか、と推察します。街並みが整備され、東京タワーが背を伸ばし、数年後には東京オリンピックが開催されるんだと高速道路や霞が関ビが建てられ、「東洋一」という言葉がよく使われたのではないでしょうか。そして新幹線は世界一の高速鉄道となり、戦前の「つばめ」からは大きな飛躍と感じられたでしょう。一方で空は次第に狭くなり煙で覆われ、光化学スモッグや車両からの排気ガスによる喘息など、現代病が拡がりました。

 人間で六十年と言えば還暦。干支が一巡したことになります。延寿院は墓地とともに郊外・八王子に移転し、はや五十一年が経ちます。振り返ることはたやすい事ですし、未来に思いを巡らすことも楽しいことですが、私たちは何をして来たのでしょうか。何を残して来たのでしょうか。数百年先の人たちが土を掘り、この地代の地層はゴミしか出ないね、ということにならないように、他人任せにせず、丁寧に責任を持った生き方が一人ひとりに求められています。

 私は春から一つ役職が減り三つ増えました。さぞや忙しいでしょうね、と言われますが、そんなこともありません。ほとんどが今まで行ってきた仕事の経験が役立っています。それはやらされた仕事がなく、全て自分が作ってきた仕事であったからだと感じています。八王子での仕事の量が増えましたので、一層皆様方にご満足いただけるよう努めてまります。

 これから冬本番を迎えます。どうぞご自愛ください。

「延寿」360号 掲載

NPO会報によせて

 今夏は大変な暑さで、よく救急車のサイレンの音が聞こえていました。その酷暑に終わりを告げたのが台風21号で、その翌日には北海道胆振東部地震が発生したのは、何かの因縁なのでしょうか?

 9月10日には4月から住職に就任した本立寺の住職交代式を行いました。当NPOの母体である延寿院のお檀家さんが入山行列をともにしていただき、大変に勇気づけられました。本立寺は檀家が900軒(その内で八王子市内在住者は80%で地元密着型)、創立から450年と歴史が古く、寺で修行をしている僧侶は5人、毎日ではなくとも掃除をしてくれる人が3人いて、地方都市の日蓮宗寺院では規模の大きな寺となります。毎月3回の信行会(参加者20~40人)、月1回の写経会(10人位)、月2回のヨガ教室(5人位)を行い、年4回檀家の自宅に伺ってお経をあげ、年4回会報を作っています。

 「因縁果報」「因果応報」という仏語がありますが、物事には原因・結果・報いがあって、「・」が狭義の縁で、広義には過去・未来も包摂して縁ともいえます。台風や地震はもちろん天災です。たまたま大阪を通過した。たまたま北海道で揺れただけなのかもしれません。

 交代式で400人の参列者をお迎えするために、その当日も境内を掃いていると、曼珠沙華が地面から茎を伸ばしているのを見つけました。一本見つかると、ここかしこにもう伸びていることに気が付きます。この数年お彼岸(今年は20日から)の10日前から咲くようになりました。人の生活が、自然に過度な影響を与えてきた結果なのではないでしょうか?地震によって電気が止まりました。自然災害の中にも人災はありませんか?

 四つの寺の住職をし、公益財団法人事務所長、当NPO法人代表など、私が関与している団体・人々が、宿縁によって「シンク」「ループ」「ワーク」するように、益々働きかけてまいります。どうぞ関心をお寄せいただきご賛助ください。

「Lotus News」 31号掲載

宿縁

 今夏は大変な暑さで、よく救急車のサイレンの音が聞こえていました。その酷暑に終わりを告げたのが台風21号で、その翌日には北海道胆振東部地震が発生したのは、何かの因縁なのでしょうか?

 先日九月十日には四月から住職に就任した本立寺の住職交代式(法灯継承式という)を行いました。安藤、佐藤総代や山本、井上世話人さんら延寿院のお檀家さんが入山行列をともにしていただき、大変に勇気づけられました。本立寺は檀家が900軒(その内で市内在住者は80%で地元密着型)、創立から450年と歴史が古く、寺で修行をしている僧侶は5人、毎日ではなくとも掃除をしてくれる人が3人いて、地方都市の日蓮宗寺院では規模の大きな寺となります。毎月3回の信行会(参加者20~40人)、月1回の写経会(10人位)、月2回のヨガ教室(5人位)を行い、年4回檀家向けに会報を作っています。

 「因縁果報」「因果応報」という仏語がありますが、物事には原因・結果・報いがあって、「・」が狭義の縁で、広義には過去・未来も包摂して縁ともいえます。台風や地震はもちろん天災です。たまたま和歌山や大阪や兵庫を通過した。たまたま北海道で大地が揺れただけなのかもしれません。

 法灯継承式では400人の参列者をお迎えするために、その当日も境内を掃いていると、曼珠沙華が地面から茎を伸ばしているのを見つけました。一本見つかると、ここかしこにもう伸びていることに気が付きます。この数年お彼岸(今年は20日から)の10日前から咲くようになりました。人の生活が、自然に大きな過度な影響を与えてきた結果なのではないでしょうか?地震によって電気が止まりました。自然災害の中にも人災はありませんか?

 四つの寺の住職をし、公益財団法人事務所長、NPO法人代表などなど、私が関与している団体・人々が、宿縁によって「シンク」「ループ」「ワーク」するように、益々働きかけてまいります。どうぞ関心をお寄せいただきご賛助ください。

「延寿」359号 掲載

ヴァガボンド

 九月十日に住職を引継ぐための儀式(法燈継承式)を滞りなく行うことができました(本紙二頁参照)。日蓮宗から辞令が下りたのは三月三十一日で、実際に職に就いたのは四月十二日でした。年に一度の役員会、毎月の定例行事、日々の事務や法務などを、従前から勤める僧侶や職員に支えられ神輿に乗るように進めています(ありがたいことです)。

 着任して初めにしたことは、本堂の燭火を洋から和へ変えることでした。和ロウソクは洋ロウソクよりも燈に動きがあり、急に立ち上がる炎は、人間に心地よさや快適を与えるとされる1/fのゆらぎで、背景に映す陰影とともに「心のやすらぎ」をもたらします。

 さて、住職とはどのようにあるべきでしょうか。寺に居る、仏事を主宰する、寺の維持に責任をもつなどなど。しかしながら、最も大切なことは『法華経』を弘通することへの専心。そしてそれには僧俗いずれからも支援者・共感者を得、弟子を養い、継承者を得る努力をし続けなければなりません。となると、寺に逼塞しているわけにもいかず、むしろヴァガボンド(放浪者)の気分を持ち続けるべきではないか、と私は思うのです。寅次郎は諸国で露天商を生業とし、時折、柴又の「寅屋」に帰ります。回りの人たちも跡取りとして遇し、妹サクラの夫ヒロシが立場を奪うことはありません。とてもとても寅さんになれるわけもありませんが、寺や町へ外からの空気を吹き込み、安心で寛げるお寺作りを行ってまいります。

 お檀家の方々には寛容に、どうぞよろしくお願いいたします。

(本立寺主催の旅行案内【山登り】【荒行堂ご祈祷】を同封しました。一緒に旅行に行きましょう)

「山風」76号 掲載

適当に そして 適当に

 まずは檀家の皆様に謝罪(社会的な罪を犯したわけではありませんが)。

 一昨年までは「延寿院住職+新宿常円寺執事長」。昨年からは「延寿院住職+新宿常円寺執事長+京都法音院住職」。今年からは「延寿院住職+京都法音院住職+八王子本立寺住職+八王子明月教会担任」。その他にも従来から、NPO法人代表・公益財団事務所長・教化センター長などを務め寺を留守にすることが多く、家族にも負担をかけてきました。この度の本立寺住職就任によって、家族ともども居を移し、ますます不在がちとなりました。見かねた石屋の麻生さんが手弁当で墓地の掃除をしてくれたり、NPOの白石さんが今までに増してよくやってくれています。私も一つの体をいくつにも引き裂いてやるつもりでしたが、引き裂くこともできず、ほぼ毎朝五時半からお経をあげ境内の掃除をし、七時までには本立寺に戻り朝勤を務めることにしています。その際の励みはノラ猫たちが出迎えてくれていることです(正確に言えばエサをくれる私を待っているだけのことですが)。

 主に八王子・新宿・京都を仕事で移動していますが、有難いことは、それぞれの場所で新しい発見や出会いがあり、それらが更に新しい繋がりを作っていってくれています。そして、皆が好意的にしかも期待を持って迎えてくれています。もちろん旧知の方々も今まで同様かそれ以上に働いてくれています。私が学生の頃に一緒に住んでいた祖父から、「『行間を読む』という言葉を知っているか?」と突然訊ねられたことがありました。今でもその時のことを憶えているということは、そのときに於いては知らなかったのか、知っていたとしてもあまり意味を理解していなかったのでしょう。それから三十年以上が経ち、今は字面を追うだけではなく、少しは感じられるようになったのではないかと思います。ある人のある言葉から扉が開かれることがあります。意図をしたとしてもその意図がそのままに伝わるとは限りませんし、まったく意図に反することも多いことでしょう。共鳴・共感するには共通の環境や土台が必要なのでしょう。『行間を読む』という積極的な態度と、その上でも成るようにしか成らないし、成るべくして成ることもある、という流水に我が身を委ねる気分が大切なのだと思うようになってきました。お檀家の皆さんからすれば「そんな諦観では困るよ」というお声が聞こえてきそうですが、総代・世話人の役員の皆さんが相当の心配をしてくださっていることに感謝をし勇気付けられています。

 将来への責任は勿論果たします。しばらくのご猶予をくださるようお願い申し上げます。

 今月はお盆を迎えます。十三日~十六日、ご先祖さまがお戻りになります。丁重にお迎えし今在るご自身・家族に感謝する機会になさってください。

「延寿」358号 掲載

NPO会報によせて

6月18日に近畿地方で大きな地震がありました。第一報が『大阪大地震』という物々しさでしたから、その日は続報を注意していました。早速京都の住職をしている寺には連絡を取ることができ、無事の安否を確認し、個人的には安堵をしました。翌日の夜はサッカー・ワールドカップに出場している日本の初戦が南米コロンビアとあり、私が帰宅したときには丁度終了していましたが、『金星』と言われる戦いをしました。同日には「加計学園」の理事長の緊急会見があったようで、人々の関心事の目まぐるしさは大変なことになっていたでしょう。

 ご報告の通り、私は「東京里山墓苑」がある延寿院の他に、同市内の本立寺の住職になりました。檀家も多く、長年続けている伝統行事もあり、年初の「八王子七福神廻り」には1万人もが参詣してくださり、ありがたい事にはそれらを僧侶など職員が手伝ってくれます。また、広い敷地の管理をしなくてはなりません。「ぜいたくな苦労ですね」と言われますが、これらを「守る」ということは住職に就任した以上は他人事ではありません。

多くのニュースから様々な事象を参考にし、自らの振る舞いに活かしていこうと思います。一例で言えば、寺には数百メートルもの塀が架かっています。これが「もしも」のときに、安全を「守る」ものでなければなりません。今年度もまた、関わっている人や事が「ループしてワーク」していくように一路精進してまいります。

「Lotus News」 30号掲載