謹賀新年

春の始の御悦びを申し上げます

 温暖化と言われるように、統計的には冬も暖かくなってきているのでしょうが、あの熱い夏を乗り越えてきた私の体(皮ふ・毛穴)はまだまだ対応できていません(さむい)。写真にあるように若い僧侶二人が十一月一日から二月十日まで、朝六時過ぎに水行を始めました。私も若気の至りでしたことがありました。二十五歳から二十八歳までの四年間、一日も欠かさず(たぶん)冬季百日、阪神・淡路大震災があった頃で、四斗樽に張った水の表面がカチカチに凍り金槌で割って、ビル風に当たりながら肝文を唱える間が寒く、水をかぶると暖かく感じる程でした。ですから肌は鍛えられ風邪をひきませんでした。

 私が昨年まで住職をし、今も代務住職をしている市内川口町の延寿院に度々行きます。寺の木ばかりでなく周囲の森からはその数倍の葉がひらひらと境内に舞い落ちます。春に生まれ、夏の強い陽射しにさらされ、今は美しい色に姿を変え、やれやれと地面にたどり着きました。それを見て「成仏」とつぶやきます。「ご苦労さま」でもいいかもしれませんが「成仏」ですね。感謝の気持ちで「南無」でもいいかもしれません。アスファルトに落ちたのは可愛そうな気がします。自動車に吹き飛ばされて土にたどり着ければ幸いですが、そのうちにパラパラになってしまいます。

 医師である稲葉俊郎さんの文章を読みました。「わたしたち人間は弱いからこそ、助け合うのです。人が助け合えなくなるのは、弱さを忘れ強いと錯覚しはじめたからでしょう。生命は弱さという支えがあるからこそ強いのです。」と。私たちは一枚の葉にも支えられて生きているのだと思います。

 皆様が心穏やかに一年を過ごせるよう、元旦より祈念してまいります。

「山風」81号 掲載