慶讃 日蓮聖人 八〇〇歳 

 日蓮聖人がお書きになられた『妙一尼御前御消息』に「冬は必ず春となる」という一節があります。季節は行きつ戻りつしながらも必ず廻るということと、雌伏している時こそが大切なのだと言うことを教えています。私は小さい頃から計画的でした。例えば試験前になると部屋や勉強机の片付けをし、まず場を整える作業をしないと気が済みませんでした。次には一週間の過ごし方をこの日の何時から何時までは数学のここをするという風に表にします。これくらいしとけば大丈夫であろうと算段をつけるわけです。担任の先生や親兄姉から準備法を教わったのでもありませんが、とにかくそうして来ました。「三つ子の魂百までも」で、その性癖は今でも変わっていません。むしろより周到になっているかもしれません。しかし、社会にあって仕事をする中では、自分の意図したようには上手くいかないことに気付くようになりました。自分一人の努力ではどうにもならない「縁(つながり)」の作用があるということです。思いの強さを如何に伝え共感してくれるかが大切になります。

 私が住職に就任した平成三十年四月は、『日蓮聖人御降誕八〇〇年』までわずか二年十ヶ月のタイミングでした。まずは本立寺の日常に自分の感覚を慣れさせることから始め、九月に『法燈継承(住職交代)式』という内外への披露を実行することを目標にしました。初年度を無難に終えると、分析をし課題の抽出をし、現状の問題と近未来の課題に対して処方箋を作り、同時にチーム作りをしなければなりません。従来から寺に関わっている者の意識を高め、お檀家の参画を促します。停滞していた「世話人会」の名簿整理をし、新たに就任していただく方を募りました。本立寺がどのように見られてきたのか?まずは寺に来やすくしよう!私が意図したことも、しなかったことも、全てが良縁となって新しい風がビュンビュンと吹いて来てくれました。

 今月、一年の延期を経て京都より日蓮聖人(=御真骨)に御来駕(=出開帳)いただき『八〇〇年』が行えることは奇跡的なことです。総代さんなど大勢の人たちと「オンライン」「オフライン」の行事として成功するよう準備を進めています。どうぞ振るってご参加ください。

「山風」 90号 掲載